ジョージ・オーウェル「一杯のおいしい紅茶」
『1984』を書いた作家としても有名なジョージ・オーウェルには、「紅茶の淹れ方」に関して、絶対に譲れない項目が「11」もあるそうです。
「イギリスはおいしい」で有名な林望さんは、イギリスのお茶は、ほとんど形式にこだわらない気楽なもので、形式にこだわる日本の茶道とは違うと言っています。(「イギリスはかしこい」PHP文庫)
自分は、圧倒的にコーヒー派です。
それも、ミルクと砂糖たっぷりの甘いカフェラテが好きです。
銘柄などにもこだわりはありません。
ドトールやベックスなどで出てくるリーズナブルなもので十分です。
気合いを入れて読書をしようと思った時は、一冊の本を持って、カフェに出かけることもしばしばです。
そんな自分でも、ときどき無性に紅茶が飲みたくなる時があります。
先日も、そんな気分になってしまい、知り合いからいただいた紅茶を飲む機会がありました。
手土産としていただいたものだったのですが、その紅茶はかなり上等なものだったようです。
カフェオレ派の自分も思わず唸るほどの美味しさでした。
このクラスになると、砂糖などは不要です。
そのままでも十分に至福の時間を過ごすことができました。
この時、ふとオーウェルが言っていた「砂糖を入れてはいけない」という意味がわかったような気がしました。
「インド産かセイロン産に限る」と言っているオーウェルは、とても良い茶葉を使っていたのでしょう。
彼のように研ぎ澄まされた精神には、研ぎ澄まされた味覚が備わっていたのかもしれません。
普段の自分は、ティーバッグで紅茶を淹れています。
もちろん、ティーポットなどは使いません。
使えば、それなりに楽しい時間が過ごせそうですが、そんな余裕もない自分は、オーウェルに「文化の貧しさ」を指摘されてしまいそうです。
この記事を書くにあたって、彼が言っていた「ブレックファーストカップ」を調べてみました。
それは、「460㎖」もある大きなもので、2~3万円のものまでありました。
調べている中で、とても気に入った緑色のアンティークカップがあったのですが、あいにく「品切れ」でした。
一日に1リットル以上は、何かしら飲んでいるので、オーウェルを見習って、一客ぐらいあってもよいかな?と思っていただけに、少し残念だったのですが、またいつか、もっと素敵なカップと巡り会えることを信じて、紅茶ライフを続けていこうと思っています。
林望さんが言っていたように、気軽なはずのイギリスの紅茶も、オーウェルにかかれば、形式にこだわるものに様変わりしてしまいます。
こんなところにも、彼の気質を感じることができるでしょう。
同じお茶でも、利休のお茶は、茶道末期の「死をかけた」ものでした。
明日は戦場で躯となることを覚悟した「お茶」だったのです。
それ故、「一期一会」に大きな意味がありました。
今生の最後に味わう「命がけのお茶」だからこそ、そこには、独特の風情があったはずです。
それは、現代の茶道では味わえないものかもしれません。
オーウェルのお茶には、利休の頃の茶道に近いものを感じてしまいます。
一つひとつにこだわる彼の姿勢に、茶道に通じるものが見て取れるからです。
「紅茶の淹れ方」一つを見ても、彼がいかに命がけで作家を続けていたか、窺い知ることが出来る内容となっていることに、ただただ感心するばかりです。