マガジンのカバー画像

早稲田の古文・夏季集中講座

35
運営しているクリエイター

#早稲田の古文

早稲田の古文 夏期集中講座 第6回 歌道とは

早稲田の法学部で2017年、「無名抄」が出題されました。13章「歌仙を立つべからざるの由教…

早稲田の古文 夏期集中講座 第7回 無名抄の入試問題

2017年度、早稲田の法学部の実際の入試問題を見てみることにしましょう。まず、問六の「錐…

第9回 大隠は朝市に隠る(1) 【早稲田の古文・夏期集中講座】 

白楽天の詩 白楽天の詩『中隠』に、次のような言葉があります。 鴨長明は『発心集』という仏…

早稲田の古文 夏期集中講座 第12回 源家長日記について Part 2

では実際に入試問題を見てみることにしましょう。早稲田法学部2012年度の問題です。和歌所…

早稲田の古文 夏期集中講座 第13回「沙石集」について

早稲田の教育学部で2021年、「沙石集」が出題されました。Z会の『最強の古文』によると、1283…

早稲田の古文 夏期集中講座 第14回「沙石集」について

では、実際の入試問題を見てみましょう。2021年早稲田の教育学部の問題です。『沙石集』<巻第…

早稲田の古文 夏期集中講座 第15回「建礼門院右京大夫集」Part1

早稲田の教育学部で2020年、『建礼門院右京大夫集』が出題されました。Z会の「最強の古文」によると、十三世紀初頭、1232年頃の成立とされ、第八十代高倉天皇の中宮建礼門院(平清盛の二女徳子)に仕えた頃から、平家滅亡、藤原俊成(定家の父)が後鳥羽院から九十歳の祝賀を1203年賜る鎌倉初期までの約30年間の作歌を集めた歌集です。(同書解答解説P117)  物語のクライマックスは恋人平資盛(すけもり)との最後の別れと資盛の死の悲報・思い出の手紙と回想シーンといったところでしょう。

第16回 建礼門院右京大夫集(2) 【早稲田の古文・夏期集中講座】

2020年の早稲田大学教育学部で出題されたのは、 元暦二年(1185年)三月の壇ノ浦の合戦で、平…

早稲田の古文 夏期集中講座 第18回 藤原俊成の歌

早稲田の文学部で2018年、和歌が十九首出題されたことがあります。藤原俊成が最愛の妻・美福門…

早稲田の古文 夏期集中講座 第20回 『無名草子』

『無名草子』は藤原卿女と呼ばれた人によって成立したとされている。本当は孫なのですが、祖父…

早稲田の古文 夏期集中講座 第21回 『水風晩来(すいふうばんらい)』

「流水夏に当たりて冷ややかに、風は晩を迎えて来たる」というのが水風晩来です。 橘成季が五…

第24回 藤原隆信の歌集(1) 【早稲田の古文・夏期集中講座】 

早稲田大学文学部の2019年入試で、歌人・藤原隆信の歌集が出題されました。 藤原隆信の父は、…

第25回 藤原隆信の歌集(2) 【早稲田の古文・夏期集中講座】

「五条三位入道」は、藤原俊成のことです。 俊成は、非常に長命な人で、91歳まで生きました。 …

早稲田の古文 夏期集中講座 第26回 藤原隆信と建礼門院右京大夫

「そのかみ、思ひかけぬところにて、よ人よりも色好むと聞く人、よしある尼と物語しつつ、夜もふけぬるに、近く人のあるけはひのしるかりけるにや、頃はうづきの十日なりけるに、『目のひかりもほのぼのにて、けしききえ見えじ』などいひて、人につたへて。その男はなにがしの宰相中将ぞ。」 建礼門院右京大夫がはじめて藤原隆信に予想もしなかったところで、「目の光もかすかで自分達の様子は見えないでしょう。」と言いよられているシーンです。世間の人よりも色好み、とはっきり書かれています。 とりとめも