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早稲田の古文・夏季集中講座

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早稲田の古文 夏季集中講座 第3回 西行「詞書(ことばがき)の世界」「崇徳院 御…

「詞書(ことばがき)」とは、「和歌の前に置かれて、詠作事象や歌題を示すもの」と言われてい…

早稲田の古文 夏期集中講座 第15回「建礼門院右京大夫集」Part1

早稲田の教育学部で2020年、『建礼門院右京大夫集』が出題されました。Z会の「最強の古文」に…

第16回 建礼門院右京大夫集(2) 【早稲田の古文・夏期集中講座】

2020年の早稲田大学教育学部で出題されたのは、 元暦二年(1185年)三月の壇ノ浦の合戦で、平…

早稲田の古文 夏期集中講座 第18回 藤原俊成の歌

早稲田の文学部で2018年、和歌が十九首出題されたことがあります。藤原俊成が最愛の妻・美福門…

早稲田の古文 夏期集中講座 第20回 『無名草子』

『無名草子』は藤原卿女と呼ばれた人によって成立したとされている。本当は孫なのですが、祖父…

早稲田の古文 夏期集中講座 第21回 『水風晩来(すいふうばんらい)』

「流水夏に当たりて冷ややかに、風は晩を迎えて来たる」というのが水風晩来です。 橘成季が五…

早稲田の古文 夏期集中講座 第23回 歌人「藤原良経(ふじわらのよしつね)」

藤原良経は百人一首にも採用されている有名な歌人です。 きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む(新古今集五一八) しかし、もっと大事なのは後鳥羽院の下に集まった若き歌人達のために摂政としてスポンサー兼プロデューサーのような役割をしたことにあると思います。一二〇一年(建仁元年)七月二十七日、後鳥羽院は和歌所を二百五十年ぶりに復興し、良経はその寄人(よりうど)にも選ばれています。 「和歌に情熱を燃やす後鳥羽院のもとには、身分や立場を問わず、

第25回 藤原隆信の歌集(2) 【早稲田の古文・夏期集中講座】

「五条三位入道」は、藤原俊成のことです。 俊成は、非常に長命な人で、91歳まで生きました。 …

早稲田の古文 夏期集中講座 第26回 藤原隆信と建礼門院右京大夫

「そのかみ、思ひかけぬところにて、よ人よりも色好むと聞く人、よしある尼と物語しつつ、夜も…

早稲田の古文 夏期集中講座 第27回 千五百番歌合と新古今集

『増鏡』に後鳥羽上皇の「千五百番歌合(うたあわせ)」の記録が残っています。『千五百番歌合…

早稲田の古文 夏期集中講座 第29回 俊恵(しゅんえ)法師

  鴨長明の歌の師は、俊恵法師と言います。『俊頼髄脳』という歌論書で有名な源俊頼の子供で…

早稲田の古文 夏期集中講座 第30回 『増鏡』後醍醐親政

 『増鏡』では、御醍醐天皇親政期の繁栄の様を描く所があります。たとえば、「十五夜歌合」と…

第31回 折り句と沓冠(くつかぶり)【早稲田の古文・夏期集中講座】 

2015年の早稲田大学文学部の入試では、『折り句』という技法に関する問題が出されました。 『…

早稲田の古文 夏期集中講座 第32回 『増鏡』の女性達① "遊戯門院"

 後醍醐天皇の父、後宇多院の皇后は游義門院姈(れい)子といいます。後深草天皇の皇后、東二条院の皇女です。ということは、御宇多院は父である亀山院の兄、後深草院の皇女を正妃に迎えたということになります。父の兄の子ですから、いとこ婚ということになります。 この時代、このような近親結婚は珍しい事ではありません。後深草院にいたっては、母大宮院の妹、東二条院を正妃として迎えています。つまり、叔母ににあたる女性と結婚したことになるのです。後深草院十四歳、東二条院二十五歳のことです。 も