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21世紀を生きる人たちのための「アメリカ大統領選挙」(前編)

8月半ばに行われた、来たる大統領選挙に向けた合衆国の民主党大会合衆国についてのよい解説を日本語で読める機会は、これまでなかなかありませんでした

このnoteでの記事も含めて、です

昨日9/9になって、ようやくにして「文春オンライン」で詳細な解説がネット上にアップされました

これは20世紀を生きてきた者たちの思い込みを正し、これからの21世紀を生きていかねばならない人たちが何を志向しているのかということ、そしてそれは合衆国建国の理念に基づくものでもあることを、極めて簡単な日本語で読めるものになっており秀逸です

まずは無料で読める記事をお読みいただいた上で、なぜ自分がそのように考えるのか、拙いものでしかないことは承知しておりますが、思うところを書いておきたいと思います
半分以上、自分の頭の中を整理するためのものなのかもしれませんが…

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民主党大会でカマラとウォルツ(日本語ではこの呼称で統一されていくようですね)の正副大統領コンビが自ら等を体現して示したのは、長く続いている民主制の理念を刷新することであり、合衆国は今後は「政治理念」で世界に影響力を持つ国となることができる

僕はそのように読みました

8年前や4年前と大きく異なることとして忘れている人が多いと感じるのは、今回の合衆国大統領選挙は、「Z世代」の多くが投票権を持ち大きな影響力を発揮できる環境下でのものであるという事実です

そして、ハリスとウォルツが21世紀を希望を持って生きていける社会を見事に提示していたことを、日本語でこれほどわかりやすく伝えてくれた記事は、残念ながらこれまでなかったのです

日本国は今尚ネオリベラリズムの根強い影響下にあり、合衆国を軍事や経済の側面からしか見ていない、そうした事情によるところが大きいと見ていますけど…

しかしながら、合衆国の政治やそこで重んじられる価値観なりを、建国当初に示された理念にまで遡って考え直す必要が今回はどうしても必要であるように思えてなりません


イングランド国教会が王室の都合だけでつくられた到底信仰の対象とはできぬものだったために、ピューリタンと呼ばれるキリスト教プロテスタントの勢力に属する人たちの過激派の一部が、信仰に基づき命を賭けて大西洋を渡って、連合王国への課税を巡る抵抗運動(ボストン茶会事件として高校の世界史教科書に載っていますよね)から本格的な独立を目指して戦い、13州から成る独立国家としての地位を勝ち取ったことを思い出してみることから始めてみます

その際には、とても古い本ではあるものの、押さえるべきことをきちんと踏まえて書かれたこちらを参照するのが最善とも思えたので、ひとまずご紹介しておきますね

今の内容の薄い新書とは大違いの本格派の書籍です

合衆国は今時異様なまでにキリスト教信仰を持つ人たちが多い国です
新しく選出された大統領は聖書に手を置いて宣誓を誓うことを一番始めにすることとなっていますが、他にこんな国があるかとなると改めて不思議に感じても全然おかしな話ではありません


法学を勉強した方ならわかっているよとなるような話ではありますが、法体系には大きく分けて英米系と大陸系の二つがあることは知られていることです

しかしながら、日本の法学部では通り一遍でしか教わらであろうことが、法学部を卒業した者でもないにも関わらず、自分にはとても気になっていました

その法体系に関し、それぞれどんな価値観がどのような過程や系譜を経て確立されていったのか

法律の文面を記憶するよりも、こちらを踏まえることの方がはるかに重要なのにね


英米系の法体系のキモは自然権です
対して大陸系の法体系の根本にあるのは自然法になります

自然権とは、かのジョン・ロックが当時新しく登場したブルジョワジーの立場を擁護するために規定したものです
彼は「自由」に重きを置く議論を展開していますが、その中核にあるのは財産権と言っていいでしょう
まだ地位の定まっていなかったブルジョワジーのために、重い課税に等しい政治への参画を訴えるとともに、ロックは経済的な自由の根幹にある財産権を強く主張します

合衆国は後に経済大国になり今に至りますが、この流れを肯定する根拠の大元が自然権であると言っても全然過言ではないと断言できます

対して自然法とは、元々「神の前の平等」から始まる、万人が生まれながらに持つ、生きていくための権利に基づくものです
そこでは個人の自由や権利が当たり前のものとして保証されますが、それは経済的なものに限るわけではありません
また、個人の自由や権利がぶつかることはしばしばあることなので、社会と日本語で訳される人間がつくる集団が重要視されています

こうした体系が整備せれていった欧州では、キリスト教信仰に基づくものになりますが、自然法的な概念そのものは世界中で見かけられます

なぜなら人間は集団をつくって生き延びてきた動物であり、特にホモ・サピエンスはより大きな集団をつくることが可能だったために現在にまで至る繁栄を手にすることができたのですから、人間が集う集団を穏便に暮らし生きていくためには、欧州とまったく同じ自然法的な定めが、どこであっても必要とされていたからです


欧州大陸のジュネーヴで生まれ育ったジャン・ジャック・ルソーもまた自然法を当たり前のものとしていますが、彼は自然法的な概念を大きく刷新していくことになります

彼が終生テーマにしたのは「人間とは何か」という問いかけでした
社会が施す教育を論じた『エミール』、当然のように感情を持ちエロティックな動機から繁殖活動に勤しむあり方を見つめた『新エロイーズ(正確にはジュリ)』

かの有名な『社会契約論』は、そうしたルソーの問いかけが政治に向いたものという意味合いしかないものでした
少なくともルソー本人にとっては…


合衆国の理念は、ルソーの『社会契約論』に大きく影響を受けたフランス革命とその後のゴタゴタ続きの歴史を通して、ルソーが唱えた「社会による教育により人間は人間として存在する」という主張を結果的に裏付けして「民主制」として磨き上げられていくものを多分に含んでいます

グレート・ブリテン島に出現したピューリタンは、キリスト教信仰を重んじる限りにおいて、寛容の精神と「人権」の意識を育んでいた人たちでした
それは大陸系の自然法と強い親和性があるものでもあり、故にフランスは独立国家となった合衆国を寿ぐ意味で自由の女神像を贈呈します


我々日本国に暮らす者にとり、そうした合衆国の側面が一番強く押し出されてきたのは、敗戦後の占領期と言われる時代の前半のごく数年だけの時期だけなのですが、東西冷戦と呼ばれる国々の対立でそれが終焉する前に、合衆国人たちは一つの置き土産を残しています

それが日本国憲法なのですね
(もう一つ大切なこととして指摘せねばならないのが、明仁上皇と美智子上皇后が作り上げたファミリーとしての現在の皇室なのですが、さすがに本筋とはズレる、ご異論を持つ方も多いことになるのでここでは触れるに留めます)

押し付けられた憲法だという主張も根強くありますが、先述したようにそこには自然法に基づく内容が基軸にあり、我々日本人にとっても長らく当たり前としてきた法体系を明文化したものとも言える訳で、その歴史的な或いは地理的な普遍性を考えたならば簡単に捨て去るものではあり得ません

これは「リベラル」とか「サヨク」という、今の日本では侮蔑的に使われることの多いものとは別ものなのですよね

長くなりましたので、一旦終えます

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