ドライヤーマイク。
シャワーヘッドとドライヤーに録音機能が搭載されていたとすれば、アカペラで歌っていた時間はカラオケで歌っている時間を遥かに越えるに違いない。幼い頃から私の歌声を知っている家族よりも、長い付き合いの友人よりも、鏡の横に置いてる歯ブラシと浴室内のシャンプーの方が、私の歌声の魅力を一番知っているのではないかしら。
すれ違う他人の生活を覗き見ることは叶わないので、一人で過ごす姿のだらしなさを想像することは容易ではないけれど、きっとあの素敵なスカートをお召しになっているご婦人も、常に色香がある容姿ではないと察する。ドライヤーを片手に、ではなくとも、ソファに寝転がって靴下が半分脱げている状態で我が美声に酔いしれる、なんて瞬間もあるかもしれない。
なりきっている自分と演じている自分の絶妙な狭間の中にいる。
骨伝導で聞こえている自分の歌声は自分にだけ心地よくて、ドライヤーに吹かれる髪は案外いい塩梅に無造作で、瞼を閉じれば架空のファン達が目の前でペンライトを降っているかもしれない。ドライヤーの音が私生活の音をかき消してくれているおかげもある。
髪を乾かし終わったあとも途絶えずそのまま冷蔵庫を開け、冷えたビールを一口味わえば完璧だ。ライブ後の打ち上げとして、己と乾杯、とか、さすがにここまで書くと恥ずかしいけれど、そんな他人に見られたらちょっと恥ずかしいことで溢れてる日常の幸せを格好悪いと思いたくない。
私が愛する作家様の名を上げればきっと一目瞭然だけれど、人間らしい瞬間をずっと読んでいたいし書いていたい。箪笥の角で小指をぶつけた事よりも、入浴中に浴槽に足を上げたら「そう言えば痛かったなぁ」と思い出し二秒後には浴室の汚れを気にしているような、1080pを書いていたい。
ドライヤーのスイッチを切った後に視線を下げてはいけない。身に纏っていたのは蒸気だけだったことに気がついて、ライブは放送事故になってしまう。マイクを置く前にもう一回歌っとこうか。お風呂上がりに気分が良くなっただけの誰かになれる。
と。と。と。と。
締め切ったはずのシャワーがメトロノームになっている。浴室に、私の残像だけがまだ歌っている。
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