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はらりはらりと咀嚼する。
カシュッ......カッ。息。香るアルコール。吐息は私に膜をはった。意識的にもう一度鼻で吸い、鼻で吐く。フルーティな香りが抜ける。
壁に預けた背は冷たく、自分に体温があったことを思い出す。
はらり、はらり。すっ...すー。さらさら。はらり、パタッ。物語が、言葉が、愛が、情景が、宇宙のような無限を漂わせている。本という物。形。四角。余白。線。紙。これだけで今夜の肴は充分だ。人前ではしない(していないはず)と思うけれど、手に持つ本の匂いを嗅いでは、例えようのない幸福感、充実感に満たされ瞼を下ろしている。そして指先から掌、この両手で最大限の愛撫をする。
一文字目を噛む前に、もう一度お酒を味わう。一口、もう一口。紙の肌触りと読書にのみ意識を這わせるように、鼻からゆっくり息を抜く。鼓動音さえ煩わしいと感じてしまう。けれど、意識せずとも鼓動を感じるほどの静けさの部屋にいるのだ。この身も心も物語に支配されるのは一分もかからない。
透明人間にでもなってしまったみたいだ。小説の中で生きている人物たちの息遣いまで感じているのに、私は彼らと接触しないでいられる。現実の世界でもこんなにまじまじと人間観察をしてみたい。私にできるのは精々、見えないものを見ることだ。
はらり、はらりと、心地よい紙の音が主役のこの空間で、本を閉じて私を動かせる音は突然の雷雨か、玄関の音か、夏ならば羽音。お手洗いに立つときも閉じると思われるかもしれないけれど、そこは読みながら向かい読みながら用を済ませるので例外。もうひとつ閉じてしまう音は、お腹の音。空腹には逆らえない。
夕食は卵焼き、きんぴらごぼう、お味噌汁、白米とまるで朝食。
一日の食事で私が最も食欲盛んな時は朝。起きてまず最初に食べるものを考えているときは他への関心がまるで無い。だからか、朝食らしいメニューが昔から好み。
本を読む前から決めていた夕食に足取りは軽く、音楽を流しながら準備をする。ひとりの夜は必ず聞きたくなるのが浅川マキの『それはスポット・ライトではない』という曲。無心で聴くことも、歌詞に浸ることもできる。どんな夜にでも柔らかく寄り添ってくれる。
見る、噛む、味わう、食後の余韻。この滔々と過ゆく幸せを、私は何年間見過ごしてきたのだろう。食事なんて何でもいいと思っていた過去を振り返り、今ある幸せまでなんとか歩んできた自分自身と、支えてくれている身近な人に改めて感謝する。
お風呂のことも明日の予定もまだ考えず、もう一度本を開く。清流のような夜がはらり、はらりと流れていく。文章から目を逸らさず、缶に手を伸ばすとあっという間に中身は空になっており、飲むことはできないのに右手はそのまま離すことを忘れ、また物語に支配される。章の区切りでようやく缶を置き、時間を確認する。夜はどうしてこんなに早く朝日を追いかけてしまうのか。朝食好きの私に気を遣わずゆっくり進めばいいのに。