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ストア哲学のことを知って、心穏やかになろうとする思考実験
「物事のうちで、あるものはわれわれの力の及ぶものであり、あるものはわれわれの力の及ばないものである。「判断、衝動、欲望、忌避」など、一言でいえば、われわれの働きによるものはわれわれの力の及ぶものであるが、「肉体、財産、評判、官職」など、一言でいえば、われわれの働きによらないものは、われわれの力の及ばないものである。そして、われわれの力の及ぶものは本性上自由であり、妨げられも邪魔されもしないが、われわれの力の及ばないものは脆弱で隷属的で妨げられるものであり、本来は自分のものではない。」(エピクテトス「要録」)
心穏やかになりたいわぁ
みたいなことをXで口走ってから10日くらいが立ちました。本書は、そうのたまってからamazonで適当に新刊を探していたら発見した本です。
ここのところ鬼のように忙しくて、なかなか書く時間も取れないし、まだ忙しいのが終息したわけではないので、本当はそれどころじゃないような気もしているのですが、心穏やかになるためにこのテーマでつらつらと書いてみようと思います。
※6000字以上と長くなってしまったので、気を付けてください(笑)
※アマゾンのアソシエイトとして適格販売により収入を得ています。
ストア哲学
というのがあるそうです。
本書は、生きづらい世の中でストア哲学に触れた筆者が、ストア哲学を学んで実践したり考えたりした内容を書いた本です。
まずはじめに、この本を読んで、予め、ちょっと気を付けたほうがいいかなと個人的に思ったことを二つくらい指摘します。
著者は、英国の『ガーディアン』誌のジャーナリストさんです。ストア哲学について専門的に研究した教授の人とか、哲学の専門家とかではないです。なので、書いてある内容がストア哲学について本当に正確なことが書いてあるのかはわかりません。
もっとも、だからといって読む価値がないかというとそんなことはないと思います。本書の中にも出てきますが、この人は、ストア哲学について勉強したのは割と最近なのですが、一生懸命勉強しています。
私は、哲学とか思想とかは、正確に理解することも大事ですが、それ以上に、実際の自分の生活に如何に活かすことができるかが重要なんじゃないかと思います。
こういうと誰かに怒られるかもしれませんが、誰か一人の思想に傾倒するよりは、いろいろな人の思想のエッセンスをいいとこどりして、自分に都合よく生かしていったほうが結局いいんじゃないかと思ったりしています。
実は、昔、ソクラテスから順番に理解して、歴史上の哲学者を全て網羅してやるぜといきり立ったことがありました(笑)。そんなイキリからもう20年近く経ちます。しかし、その理屈でいうと未だにソクラテスすら、理解していません。20年経過しても、まだ古代の序盤……そうするとこのままでは、プラトンが終わるかどうかくらいの間に一生を終えてしまう可能性が高いことに最近気がつきました。本当は、近現代の思想家のことも知りたかったのに、そこまでたどり着く余地もなく、古代哲学序盤のところで、死んでしまいます(笑)ガチ無知の知です。
謎の誰かと謎の比較をしたこともありました。
例えばもし、同級生が、古代から順番に始めてカントくらいまで読み終わっててこの前カントを読んだよーとか言ってたら、とんでもない差がついてしまったことを感じてしまい絶望に打ちひしがれてしまうのではないかという不安がありました。しかし、今までにそんなことを言ってくる同級生は、一人もいませんでした(笑)
何が言いたいかというと、別に専門家でもない人は、一から正確に覚える必要性がそんなにないんじゃないかってことです(もちろん正確に理解できた方がいいし、正確に理解できている人をとても尊敬しています)。
特に、ストア哲学は、理論的にどうかよりも、実践を重んじていると言われているみたいです。だから、内容の正確性より実践できているかの方が大事でしょ。ということで、これが一点目の留意点。
もう一つの留意点は、この本は、読む人によっては、ものすごい誤解を招いてしまうのではないかということ。まあ、私が、全部誤読している可能性があるので、そんなことを言いだしたらキリがないのですが。
特に、この本については、エピソード自体がつらいなぁというエピソードが出てきます。具体的に言ってしまうと、序盤から「死」についてのことが出てきます。だから、読む人の精神状態によっては、ものすごくつらい読解をしてしまう恐れがあるのではないかと思いました。
タイトルが「心穏やかに生きる哲学」なのに、辛くなってしまったら元も子もありません。だから、もしこの本を読む人がいたら誤解しないで、これはね、「心穏やか」に至ることができるような一つの考え方だと思いますよ、あくまでも一つのね、ということで理解したらいいんじゃないかと思います。
ストア派哲学って何?
ウィキペディアの冒頭には、「自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学」とあります。
「ストイック」の語源と言われています。
歴史の教科書だと「禁欲主義」なんて書かれています。
ここから見えるイメージは、「禁欲」「厳格」「強靭」といったマッチョなイメージではないかと思います。
そういう心の強さみたいなものが、求められる場面もあると思いますし、芯があることは大事だと思います。でも、誰でもそんな強い心を持てるわけでもないし、そうじゃない精神状態の時だってあると思います。そんな人に「ストイック」のイメージはあまりにも重くのしかかってしまうかもしれない。
ただ、本書を読んでみて感じたのは、もう少ししなやかなイメージ。達観しているといってもいいのかもしれません。
哲学ではないのかもしれない
ストア哲学は、実践的だと言われています。そういう意味では哲学というよりは、自己啓発とかスピリチュアルよりな感じがあるような気もします。
本書からエッセンスとして汲み取れるストア哲学の基本原則は、
コントロールできるもの(力の及ぶもの)とできないもの(力の及ばないもの)を見極める
なんじゃないかと思います。
本書の中に「コントロールテスト」あるいは「コントロールの二分法」という概念が出てきます。
本書では、コントロールできるものは、品性、行動(と反応)、他者への対応だけでありそれ以外はコントロールができないといいます。
そして、コントロールができるものに努力を注ぎ、コントロールのできないものについては、悩んで時間やエネルギーを無駄にしてはいけない、というのが基本的な発想ではないかと思います。
このことによって、必要以上に感情が揺さぶられることが無くなり、アタラクシア(不動心)に到達することができるといいます。あまり高く舞い上がることもなければ、落ち込みすぎることもない状態になります。
つまり、心が穏やかになります。
ん?これ、この前読んだなんかと似ている気がするなあ。
反応しない練習でした。以外にも、仏教。
これは、ブッダの教えを踏まえた悩みを解消する考え方についての本でした。
悩みは、いきなり悩みをなくそうとするのではなく、悩みを理解し、心の反応を正確に理解して、心の反応の原因を把握する。原因は、心の反応にあるのであるから、まずは「反応しない」。そうすると、いつの間にかあらゆる悩みは消えている。そんな考え方です。
両者に共通することがいくつかあると思います。例えば、
① 世の中をありのままに理解しようとすること
② 良し悪しを判断をしないこと
③ 世界を広く捉えること
みたいなことが挙げられると思います。
共通点が多いのは、理由があるような気がします。これは、どちらのエッセンスも、一見スピリチュアルに見えて、実はとても合理的・論理的な思考過程を経ているから、ではないでしょうか。
ちょっとこのことに触れてみたいと思います。
論理的必然性
先ほど申し上げたとおり、本書は、一見するとちょっとスピリチュアルな印象があります。実際、そういう側面もないわけではないと思います。ただ、どうせ押さえておくなら、ストア哲学のなかに垣間見える論理的構造を意識してみるといいんじゃないかなって思ったりしています。
それは、そのままブッダの「反応しない練習」と本書との間のどこに親和性があるのかを見出すのかという観点にも役立つかもしれません。
まずは、問い。
問いは、これなんじゃないかと思います。
問い:「人生の悩みを解決するにはどうしたらいいか?」
または
問い:「心穏やかになるにはどうしたらいいか?」
ものすごい漠然とした問いですが、ここから始めてみます。
この問いに対する最初のトリガー、
① まずは、物事を正しく捉える
です。
ストア派哲学では、コントロールテストという概念が出てきました。反応しない練習では、漠然とした悩みを正確に理解することが重要だと説かれていました。
客観的に見つめる。ありのままを捉えるということ。
ストア派の本では、「現実を直視」するという言い方もされています。現実を直視するなんて、まさにストイックな感じがします。しかし、まずは物事を正しく捉えるという観点からすれば、「現実を直視」は、あえて厳しい選択をしたというよりも、自然にしなやかに、論理的に導かれた帰結のような気がしてきます。
では、ものごとを正しく捉えたうえで、次にどうするか。
② 悩みの原因が心の反応であることを理解する
心が反応しているということを理解すること。
感情に流されるのではなく、心が反応していることを観察する。物事とそれに対して心が反応している自分をありのままに直視している状態です。
そうすることで、感情を流される一つ上の視点からみることができるのではないでしょうか。
実は②の時点で、もう流れ行く先(論理的帰結)は決まっているような気がします。
すなわち、心が反応しているということに気がつくと何が見いだせるのか。
③ 善悪を決めつけない。判断しない。
心が反応しているということに気がつくと、良し悪しの意味づけをすること、判断をすることが実は無意味ということに気がつきます。
つまり、良し悪しとは、自分が執着しているということに気づく。それにもかかわらず、自分の執着のとおりでないから、私たちは悩む。悩みの原因が実は、「執着」や「判断」といった意外なところにあることに気がつきます。
では、判断をしていたということに気がつくとどうなるのか。
④ 自分は大きな全体の一部であると気づく
②で一度メタ的な視点になると、自分の悩みは、広い世界の中の一点であり、そのなかの自分の判断であることに気がつきます。わたしたちには自分の思い通りにならないことが、山ほどあるということに気がつく。コントロール不能なものに執着するからこそ、心が反応し、悩みとなり、心がざわつく。
では、どうしたらいいのか。
⑤ 自分のなすべきことに集中する
自分は大きな宇宙のほんの一部でしかないと気がついたとき、まさに、コントロールテストの中で見出したように、自分のコントロールの及ぶ範囲と及ばない範囲の見極めが重要になります。反応しない練習でも、結局、自分のすべきことに集中する思考に至ります。
さあ、ここまで順を追って辿ってきたうえで、どのようにして心は穏やかになるのか?
⑥ 必要以上に浮かれない、絶望しない
物事をありのままに捉え、心の反応であることを理解すると、善悪を決めつけることなく、自分が広い世界の一部であることに気づき、コントロールテストの中で自分のなすべきことに集中すると、必要以上に浮かれたり、絶望をすることが無くなります。
つまり、心が必要以上に揺さぶられなくなる。
そして、心は静けさを取り戻し、穏やかになる。
とても論理的で、合理的な発想といえるのではないでしょうか。私は、このさらりとしたしなやかな合理的な思考の流れを、なんかスピリチュアルだなでなんとなく片付けてしまうのはちょっともったいないような気がしてしまいます。
最後にちょっとだけ惑わす問いかけを
さてここまで言っておいて、これからちょっとメンドクサイことを言いだすのですが、実は一方でちょっとよくわからない壁にぶつかった気がしています。
つまり、ストア哲学によれば、心穏やかになるということは、感情の赴くままの反応を理性で押さえているということ。これと幸せとの関係についてです。
本書では、幸せを、自身のコントロール可能な範囲(自身の品性、行動、相手への反応)の中に見いだせば、幸せは自分の力で確実に手に入れることができる。つまり、自身の尊厳に生き、それを達成することで幸せを感じることができるから、幸せは、自分のコントロール可能な範囲内で達成可能ということを言っています。
極端な言い方をすると、例えば、コントロール不能な出世ができなくても、コントロール可能な自分の品性を保つことができたことを幸せと感じるという発想を持つことで、私たちは確実に幸せになれるということ。
一方で、幸せを自身のコントロール不能な範囲(肉体、財産、評判、官職)に見出した場合、確実に手に入るかどうかはわからない。手に入らなければ絶望しかない。心は、ざわついてしまい、穏やかではない。
確実には手に入らない幸せ。
でも、これって幸せではないって言いきってしまっていいの?
感情を理性で抑え込まない、感情の赴くままの心の反応
これはもう、もう手に入れることができなければ取り返しのつかない絶望なのかもしれない。一方で、(自分の力だけではないかもしれないけれど)手に入れることができれば、もしかしたら、これまでにない歓喜の瞬間なのかもしれない。
何がいいたいのか?
コントロール不能なものに、感情の赴くままに揺さぶられる。
これはストア哲学や「反応しない練習」の考え方からすれば、もしかしたら、欲望に惑わされた愚かな行為かもしれません。
でも、どこかすごい人間っぽさを感じませんか?
もしかしたら、どっちが正しい反応なのかというのは、もしかしたら本当はわからないということなのかもしれません。
なので、私は、ここまで考えを巡らせてきたのであれば、都合よく良いとこどりしていいんだろうし、都合よく実践に生かすことができればそれでいいんじゃないかって思ってます。
少なくとも、最初から結論ありきで、答えだけ求めるよりは、ちょっとくらい思考を巡らせてるからまだましかなって気がします。
つまり、心穏やかになりたいときは、ストア哲学の教えを思い出し、そうじゃなくて感情の赴くままに揺さぶられたいときには、また違う思想を取り入れてみる。
そんな行ったり来たりの思考実験をしていたら、ずいぶん長くなってしまいました。だからまだ、忙しい状況、終息してないんだけどな。
本当に最後に、問い:「心穏やかになるためにはどうしたらいいか?」に対して、最近noteをしていてこれはいいかもって気がついたことを書いてみようと思います。
①物事をありのままに捉え、②心の反応に過ぎないことを理解し、③善悪を決めつけることなく、④自分が広い世界の一部であることに気づき、⑤コントロールテストの中で自分のなすべきことに集中し、⑥心穏やかになるために、自分で自分に問いかけてみたらいいんじゃないかなと思った言葉があるのでご紹介します。
なんてことはありません。いつものやつです。
そんなわけで、結局、いつも自分で自分に問いかけてみるこの言葉——