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ありがとうつば九郎。君のおかげで、はじめて沼にハマっていたことに気がつきました
ハマることができない人間だと思っていた。
何事にもすぐに飽きてしまう性格だった。
超嫌いなモノがない代わりに、超好きなモノもない。
何かにハマる前に一回立ち止まって考えてしまう、いわゆる推し活ができない人間だった。
楽しむ前になぜ楽しんでいるのか解釈みたいなことを始めてしまう、考察みたいなことを始めてしまう。
それは本当に素直に楽しんでいるのだろうか。
そんな自分は本当に沼にハマったりなどできるのだろうか。
自分に素直な感受性なんてあるのだろうか。
そんなわけで、本気で推し活に挑めない理由を記事にしたこともあった。
だから
#ハマった沼を語らせて
こんなテーマは少なくとも自分には縁のないテーマだと思っていた。
訃報
先日こんな訃報があった。
プロ野球球団、東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラクター「つば九郎」を支えてきた社員スタッフが亡くなった——
「つば九郎」というキャラクターはご存じだろうか。
野球チームのマスコットキャラクターでありながら、お腹が出ていて、ビールが好物。「るーびーでかんぱい」とか言って、スポーツチームのマスコットキャラクターによくあるバク転とかのアクロバットな動きは全くせず、球場内を太々しく歩き、バズーカ砲を持ち歩く。
ファンサービスとして、被っているヘルメットを空中に投げてもう一度頭にかぶせる「空中くるりんぱ」を披露するもいつも失敗(結局成功したことは一度もないはず)。
最初は、つばめじゃなくてペンギンなのかと思っていた。
その一方でマスコットキャラクターとしての人気はある意味で異常。
全部ひらがなのフリップ芸は、ときにかなりきわどいレベルの毒舌。だけど、そのワードチョイスは秀逸の一言。オフシーズンにも年俸としてヤクルト何本分を勝ち取るかの契約更改で話題を呼び、街さんぽやディナーショーまで行っていたらしい。
青木、山田、村上といったチームの中心選手よりもグッズの売り上げが多く、プロ野球のマスコットとしてははじめて主催試合での2000試合出場を達成。
ヤクルトスワローズの象徴的存在として、成し遂げた功績は間違いなく偉大というほかない。
ヤクルトスワローズを知った経緯
ふと「なんで君は巨人じゃなくて、ヤクルトファンなの?」と聞かれたときのことを思い出した。
私が、ヤクルトスワローズというプロ野球チームを知ったのは1998年8月頃である。
なぜ、そこまで特定できるかというと、小学校のとき、このゲームソフトを定価で買ったことを記憶しているからである。
このソフトの発売日は1998年7月23日、おそらく発売間もなくして購入したと思う。
実況パワフルプロ野球98年開幕版は、1997年のペナントレース終了時の各プロ野球チームの選手データがベースになっている。
1997年に日本一になった球団が、ヤクルトスワローズだった。
そのため、同ゲームの中では、ヤクルトが一番強いチームに設定されていた。
なんとこの年は、石井一久のコントロールが「C」だったのだ(分かる人にはこの意味が分かる?)。
当時、私の周りでパワプロが流行っていたので、このソフトでよく対戦をしていた。私は、必ずヤクルトスワローズを使用していた。
しかし、野球ゲームは好きなんだけれども、いまいちハマり切れない。友達のほうが上手くていつも負け越し。そこまでゲームテクニックを極める感じにもならなかった。
当時、このゲームの攻略本も買った。
各チームの選手能力データとチームの特徴、オススメの先発ローテーションなどが掲載されている。
ある意味ゲームをするよりも、これを眺めているのが好きだった。
そのときのヤクルトスワローズの評価が「絶対的エースがいるわけではないが、バランスの取れた好チーム」というものだった。
つまり、強いチームは超強いピッチャーやバッターがいるからという理由だけで強いわけではない。チーム全体を見て、勝てるチームが強いチームという評価なのである。
当時のヤクルトスワローズには、少年に人気のヒーロー選手(松井、イチロー、松坂など)はいなかった(少なくとも自分の周りではそうだった)。
ヤクルトで当時これに当てはまるのは、古田敦也ではないかと思うが、彼に関しては、子どもたちの中では、人気や能力値というよりは、頭脳派のポジションという印象があった。
翌年のヤクルトスワローズは、微妙な成績だった。そこから2001年の優勝まで、しばらく微妙な成績が続く。
それでも、パワプロをやるときには、変わらずヤクルトスワローズを使っていた。またそのうち強くなるだろうと思いながら、しばらくたってもヤクルトスワローズを使っていた。
ヤクルトスワローズというチーム
野村ID野球
1990年代のプロ野球と言えば、野村ID野球の時代というのが私の認識である。
私が野村ID野球のことを知ったのは、後になってからであるが、この言葉に込められている意図は「弱くても勝つためには何をすべきなのか」という問題意識なのではないかと思っている。
確か1990年代の間に4回リーグ優勝、3回日本一になっている。これはすごいことだと思う。
しかし、ヤクルトというチームはおそらく絶対的能力値の高い選手がいることで、勝ってきたわけではない。能力値は劣っているとしても、その中で如何にして負けないようにするか?そのことをいつも考えているように見えた。
だからこそ勝てるときもあるし、勝てないときもある。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
勝者であることは当たり前ではない。このバンプオブチキン的な弱者の戦い方がヤクルトを応援するようになった理由なのかもしれない。
ファミリー球団気質
ヤクルトスワローズのもう一つの特徴が「ファミリー球団気質」である。
チーム内に派閥争いが少なく、特定のスター選手がお山の大将になっている様子もない。親会社の「ヤクルト」の社風もあっておおらかと言われ、たまに甘すぎる体質なのではないかと揶揄されたりもしている。
私がそれを感じたのは、青木宣親が2011年にメジャーリーグに移籍するときだった。
当時、ポスティングでの移籍をしようとしたものの、移籍金が思ったより高くなかったため(約250万ドル、ちなみにダルビッシュは当時5000万ドル以上)、球団側は困惑していた。しかし、結局、青木本人の強い希望とこれまでのスワローズでの功績を評し、球団は、球団の利益よりも青木の夢を優先する形でメジャー移籍を容認した。
経営する側の球団としてどうなんだという声が出てもおかしくはないところでもある。しかし、当時のファン感謝デーをたまたまテレビで見ていたときに青木選手を温かく送り出すヤクルトファンの様子を見て、球団が球団の利益を顧みず、温情で送り出したことを好意的に捉える声のほうが多かったような気がした。
その後、青木選手は、ヤクルトに復帰した。そして、日本一を目標に掲げ、2021年、見事20年ぶりの優勝を果たしたうえで、昨年引退。
そのときにこんなことを言っている。
ーーー現役生活で一番思い出に残っているシーン
21年もやっていたので、本当にいろいろなことがあったんですけど、ワールドシリーズに出たこともそうですし、WBCで優勝したこともそうですし。でも、やっぱりヤクルトで日本一になったことですね。自分の中では一番心に残っています。入団した時からヤクルトに対して愛着があって、そんな中でアメリカに行って、また帰ってきて。心残りだったのは、ヤクルトで日本一になっていなかったことだったので、それが達成できて、その辺で、ほぼほぼ自分がやりたかったことは達成したなという気持ちはありました。
私みたいなにわかファンも含めてだけど、いってしまえば、けっこう甘々のファミリー気質なんじゃないかと思う。それは、2017年に東京ヤクルトスワローズが96敗を喫したときの「まあ、そういう年もあるよね」的な雰囲気でファンも受け入れムードだったことからもわかるような気がする(さすがにこの年は落ち込んだけど)。
それでも、2021年、2022年にリーグ優勝していた当時は、よくヤクルト戦を放映しているフジテレビoneをつけて試合を見て、ビール片手に夜11時からのプロ野球ニュースを見ながら、今日はヤクルトがzoom upゲームになるのかなあとか思ったりしながら、どこが勝負のポイントになっているのかなどに着目していた。
そうはいっても、にわかファンの自覚はある。
最近は、ヤクルトが優勝した年、優勝争いをした年くらいしかプロ野球そのものに注目していない。2023年と2024年は成績が振るわなかったので、いちいち追っかけるのは飽きてきて、いつのまにか応援するのもやめてしまっていた。
ちなみに、同球団のファミリー球団気質は、ヤクルトの球団創設50周年ときのこの写真を見てもよくわかる。
当時、チーム内に変な確執があったら、こんな光景にはならないんじゃないだろうか。
この翌年に野村さんは亡くなられた。
ヤクルトスワローズの気質を象徴する存在としての「つば九郎」
この「ファミリー感」が良くも悪くも「ヤクルトスワローズ」の特徴なのではないかと思っている。
そして、この「ファミリー感」を象徴する存在がつば九郎であった。
マスコットキャラクターの王道は、明るく前向きなヒーロー的存在ではないかと思う。
ちょっと抜けてるキャラも最近は流行っているが、その走りが「つば九郎」ではないかと思う。というか、こんなにグダグダなキャラクターは今でもそうはいないと思う。
どこかしら感じさせる人間らしさ、不完全さ、ビールが好きといったキャラは、いわばダメダメなおっちゃんである。それが、あのかわいいけれども何とも言えないルックスが相まって面白味を誘う。
あのルックスで当意即妙にその期待に応えるブラックジョークとフリップ芸は、シロウトがみても只者ではなかった。
一方で、マスコットキャラクターであるが故に、表情は変わらないという特性にもかかわらず、ぞんざいに扱ってもよさそうな空気感を絶妙に出しながら、周りの笑いを誘うということにも長けていた。
それでありながら、心を込めて応援するべきときにはしっかりと心を込めて、選手、監督、スタッフを気遣い、一番近くで応援していた。
「ファミリー感」の中心には、いつも「つば九郎」がいた。
気がついたこと
私は、ファンといってもにわかなので、神宮球場でヤクルトの主催試合を見たのは、たぶん3回ほどである。
その3回とも「つば九郎」はいた。
あるときは、ゴザを敷いて、神宮球場の花火を見ていた。
あるときは、バズーカ砲をもって客席に向けてプレゼントをぶっ放していた。
あるときは、館山選手と畠山選手の引退試合で、労いの言葉を書いたフリップが、大型エキシビジョンに映しだされていた。
試合もたまにしか見に行かないけど、我が家にも少しだけスワローズグッズがある。
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この写真は10年以上前にはじめて神宮球場に当時の彼女(現在の妻)と試合を見に行ったときに購入したグッズである。
つば九郎のハンドパペットは、今は長女のベッド傍に並べられたぬいぐるみたちの中にいる。
そんななかで、冒頭の訃報のことに思いを致してしまうと、どうにも言いようのない寂しさが込み上げてきてしまう。
そうして気がついてしまった。
神宮球場に見に行ったスワローズの試合にはいつも「つば九郎」がいた。
テレビで見ていたスワローズの試合にはいつも「つば九郎」が映っていた。
家にあった「つば九郎」の人形はいつの間にか長女のぬいぐるみコレクションになっていた。
つば九郎のブログは体調不良で更新が止まるまで、毎日更新されていた。記事数は10,000を超える。
つば九郎は毎日そこにいた。
そうした事実を振り返ったとき、気づかされてしまった。
私もまた、つば九郎が中心にいたヤクルトスワローズの「ファミリー感」の沼の中にハマっていた一人だったということに。
つば九郎。
僕は、君の沼にハマっていたのだと、君がそらをとんでいってしまってからはじめてしりました。
気づくのがあまりにも遅すぎたけど、こんな僕でも沼にハマれるんだなってきづくことができました。
もしかしたら、改めてまた違う形でひょっこり現れるのかもしれないけれど、これまでの君のことは忘れません。
最近すっかりサボってたけど、今年はちゃんと東京ヤクルトスワローズのことに注目しようと思います。
捲土重来、もう一度スワローズが頂点に立てることを期待して、陰ながら応燕しています。
心からご冥福をお祈りいたします。
今まで本当にありがとうございました。