noteを1年続けて感じたこと。
こんにちは。こうです。
今日でぼくがnoteを始めてちょうど1年が経ちます。
今日は1年続けてみて感じた感想を率直に書いていきたいと思います。
1.発信するからこそ「知れる」、「学べる」
特定の内容について発信するためには、それに対しる一定の情報や知識が必要な場合がほとんどです。
このnoteでは主に「洋服、ファッション」について発信してきました。
自ら発信しようとしたことがきっかけで、その知識を能動的に収集できたこと、そしてそこから新たな気づきを得られたことは1つの大きなポイントでした。
もちろん発信をしていなくても知識は得ようと思えば得ることができます。
ですがそれは言ってしまえば「いつでも気分で得られる」状態。
僕の場合、服でいえばもともとは「好きな服」の中でも「そのときの好きレベル」が高い服の情報ばかり収集したり「見て、着て」満足したら情報収集は二の次に、といったことがよくありました。
(そのときの興味レベルが高い方に偏りがち)
「情報発信をしよう!」と決めたことが、今までには拾いきれていなかった情報や知識を得ることにつながり、結果的に学びや考えを深めるきっかけにつながったと感じています。
2.書き方には「向き不向き(スタイル)」がある
これは、内容によっていくつかの「書き方」を試してみたときに感じたことです。
僕は基本的に、「項目を立てて1つ1つポイントを明確にして書く」というスタイルを取っています。
これは、できるだけわかりやすく伝えられるように意識しているからでもありますが、実は「僕自身が伝えたいことを明確に認識する」という意味合いも大きいです。
何度か項目を立てずに自分の考えを淡々と書いていくスタイルを取ったことがあるのですが、だんだんと脈略のない文章になり「自分でも何を伝えたいのかわからない」状態に陥ってしまいました。
僕はもともと、多くの情報の中から優先順位を立てたり、脈略立てて整理をしたりすることが苦手です。
それが案の定文章にもあらわれたのだと思います(実際、人と話していてもポイントが定まっておらず“話が長い”と言われることが多くあります)。
そのため、細かく項目立てをしながら「伝えるべきポイントを明確にする、それを自らも認識できる」スタイルを取る。
そうすることで比較的スムーズに書くことができています。
逆に物事の優先順位を立てたり情報の整理が得意だったりする方は、いちいち項目を立てるより淡々と書いていく方が向いている場合が多いかもしれません。
文章だけにとどまらない「自分の情報処理のスタイル」を再認識できたことは、自分にとって大きな収穫でした。
3.「まず、少しでも書き出してみる」ことの大切さ
noteを続けていると「ちゃんと書かなきゃ病」に陥ってしまい、手が進まなくなることがありました。
どうしても「それっぽい、ちゃんとした文章を」と思うあまり、内容や構成を「頭で考える」ことになりがち。「ちゃんと書かなきゃ病」発症です。
これが重度になると完璧を求めるあまり手が全く進まなくなることがよくありました。
そんな状態を脱出できたのは「とにかく書いてみた」とき。
「書き出してみる」ことで、それに付随する必要な知識が芋づる式に疑問として湧いてくる。調べて、また書く。情報や知識に対しての感想を、自分の考えや思いとして書く。
停滞したときほど「とにかく書き出してみる」を意識したことで、結果的に上記のサイクルを回せたことが多くありました。
これは1の「発信するからこそ知れる」とも通じていたかと思います。
そして何よりこの「まず、少しでもやってみる」というのは、noteだけでなく日常のあらゆる場面にも活用できる考え方かと思います。
noteを通じてそれを実感できたのは嬉しいポイントです。
本当はもう少し書きたかったのですが、日付が変わってしまいそうなので今回はここまで。
日付内に収まりきらなかったので次回、「その2」を書いていきたいと思います。
以上、「ちゃんと書かなきゃ病」とそうでない状態を行ったり来たりしながら書いたnoteでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。