日本の問題は戦前から変わっていない
日本人という人種、特に東アジア全般に言えることだがアングロサクソンと比べるとどうしても分析能力、リーダーシップが欠如する傾向にある これは何故か? 日本のコロナ対策、政治や官僚の腐敗、経済の長く続くダウントレード等明らかに無能ぶりが露呈した 歴史は繰り返すというが日本という国もまた愚かな歴史を繰り返す方向になっている 確かに表面上は民主主義になり天皇中心の独裁は終わったが人間の性質はそう簡単に変わらない 日本人特有の性質を克服しなければ決して新しい問題に直面した時対処不可能だ その特性とは…
①全体を総括するリーダーが不在になりやすい
②分析能力の欠如
③合理精神ひいては強い宗教上の教えが無いことによる村社会、流動性の弱さ
①だが全体を総括するリーダーが日本はよく不在と言われる これは全体を分析し俯瞰し自分の頭で考える能力が決定的に欠如している 上からの命令をそのまま伝達することは得意だが前例の無い問題を対処するのは非常に不得意だ これは間違った上下関係や議論の少なさに起因する 本来の上下関係というのは、基本は上意下達だが現場の意見を尊重し、今起きている問題について議論を重ねるべきだが日本ではひたすら上意下達を強要し現場の意見を無視し議論が全くない これでは組織は健全にならない 上に物言うんだったら上になってからとはよく言われるがそれは上層部の怠慢だ 上と下はあくまで分業であるが上と下は連携する、こういったマインドが村社会で農民気質だった日本人には合わない これは自由恋愛が不得意なことにも通ずる 失敗を多く経験し改善していくのが日本人は不得意だ 不安遺伝子が強く目先の空気を重視してしまうのが原因だ それに加え強力な価値規範が無い なので目先の流れに右往左往してしまい長期目線や問題解決が放置される 短期の投機を重視し長期投資が全くできないことに似ている それだと必ず破産するのだが残念ながらそれに気づかない
②分析能力の欠如だが、これも結局議論不足、上意下達の思考停止のシステム、村社会性、強力な価値規範の欠如による反省の不足が原因だ 日本人は時間性の感覚がキリスト教と比べると薄い 日本では新年が始まるとリセットする感覚になったり、水に流す、といった感覚のように過去が今と未来に繋がっている感覚が決定的に欠如している ある出来事が起きればすぐに過去がリセットされ生まれ変わるといった感覚だ ドイツでは絶えずヒットラーのファシズムを反省しメッセージを世界に向けて発信しているのは過去が今に決定的に繋がっている感覚があるからだろう 日本人のような感覚では現状を客観的に見て反省し改善し未来で同じ問題を防ぐといったことは到底不可能だろう 良くも悪くも楽観的すぎるのだ だから過去の失敗や経験から学び反省ができずますます腐った状況を放置するはめになる
③についてだが、そもそも現代社会は人工的な社会だ 自然現象的に時間が経てば解決し上手くいくというのはありえない だが日本人は自然的な感覚が未だにあり、時間の経過や個人の努力(農民的な一生懸命の発想)が全てを解決し辻褄が合う(または辻褄が合っているはずだ)といった考えが強い だがそれは非常に危険である 戦時中の竹やり攻撃や特攻のように全力を出せば逆に状況がますます悪化する可能性だってあるはずだ 強力な価値規範を持たず(持たなくても生きてこられた平和でぬるま湯な風土だから)流動性に弱く(地域的な価値観はあるが全国的な共通の強い価値観が無いため遠い地域の人と交わった瞬間不適応を起こす それに比べキリスト教やユダヤ教は人種や地域、年齢や性別に関係なく繋がれるので非常に強力)村社会的な自分のところだけの関心のため全体をみない、全体を総括できない等のため日本人は人工的な流動性の高い社会に非常に弱い 閉塞的なのも無理はない 何故なら日本人自体がそもそもこの人工的な社会に向かないからだ その不適応を埋め合わせるため所属組織(会社、学校、公務員)に全てのアイデンティティを見出す しかしその結果起きたのが所属組織の座席争いや腐敗組織の放置だ(もし摘発したり座席争いを降りるとアイデンティティが失われるのでそれができない) 残念ながら共通の価値規範を生み出すのは相当難しい そして日本は一回悪くなり始めると自浄作用が弱い 戦時中を見ても明らかだ 性悪説的発想がなく(人間はクズ)、改善,分析能力の低さ、客観的な反省の行い、強力な価値規範、が無いためこのまま改善なしでは日本人は歴史の藻屑となって歴史から消え去る