"この心も時間も繕いながら大切に紡いでゆく"
数ページ読み進めても、内容が全く思い出せない自分の本棚にある本を読み終えた。
確かに自分で選んで、読んで、本棚に閉まったというのに、初めて読む本のようだった。
この本は、夫(一樹)を亡くした嫁テツコと、一樹の父ギフ(義父)と、そのふたりを取り巻く人々のゆるゆる日常小説なのだけど、乗り越えられずにいた一樹の死を、この物語の人々がお互いを通して、少しずつ前向きに生きようとしていく、とても感慨深い内容だった。
テツコとギフの関係が、とっても温かくて、人と人に血のつながりなんて重要じゃなくて、ちゃんとひとりの人として関わろうとしていくことが、このふたりのような、かけがえのない関係になっていくために必要なことなのだろうなぁと思った。
そして、誰よりも、テツコの恋人である岩井さんが、とてもキーパーソンになっていると思う。
登場から"この人とは結婚したくない"の印象しかなかったけど、物語が進むにつれて、「この人、ただのめちゃくちゃ良い人やん」感がすんごかった。
この岩井さんが、テツコとギフの今ある、今まで築いてきたふたりのかたちを、ふたりの生活を、絶対に崩さないように、かつ、自分がそこに不自然にならないように馴染んでいこうとする優しさがすごいのだ。
テツコは、21歳で一樹と別れることになる。
この先もずっと一緒にいられる。側にいてくれると信じて疑わなかった人が、自分の元から消えていなくなってしまう。
わたしなら耐えられるのだろうか。21歳という若さで。いや、きっと、年齢は関係ないのだと思う。
でも、ギフのおかげで、岩井さんのおかげで、なによりも一樹のおかげで、前に進める。進むことは、恐いことではないのだ。手離すことは、忘れるということではないのだ。という大切なことに気づいたテツコは、なんて麗しく、強い人なのだろうと思った。
生活の、日常の一部分や何気ない会話から、大切な言葉が溢れていたこの小説を、今このタイミングで読めて本当に良かったなぁ。
ふたりでテレビを見ながら夜ごはんを食べて、ひとつの布団でふたりで眠る。
朝目が覚めると隣に彼がいる。時間を気にせずに起きて、朝ごはんをだらだらとふたりで食べる。
こんななんの変哲もない普通の日常が、わたしには眩しすぎて、幸せすぎて、こわくなる。
今まで、"普通"をあまり経験してこなかったからなのかもしれない。
普通がわからない。誰かと生活をするということが、こんなにも心豊かで、穏やかで、温かいことだなんて、わたし知らなかったよ。
朝起きて、おはようと言える。夜眠る前に、おやすみと言える。
お疲れ様。気をつけてね。と労い合えること。
好きなときに、好きなタイミングで、連絡ができる。
理由がなくても、会いたいからという理由で会える。
挙げ出したらキリがないのだけど、とにかく、今わたしが当たり前のようにこなしている日常は、今までのわたしの日常からはまったく想像ができなかったことなのだから。
ひとり暮らしを始めてから、お気に入りの陶器屋さんを見つけた。
その街へ行くたびに立ち寄っては、その時に気に入ったものを、ひとつずつ買い足している。
この本を読み終わったとき、"そうだ、お茶碗を買いに行こう"と思った。
そういえば、我が家にはまだお茶碗がなかった。
ひとりで食べるごはんでは気づかなかったけど、ふたりで食べたときに、初めてお椀が足りなくて困った。
いつもはひとり分の買い物だけど、この日は迷いなくふたり分のお茶碗を手に取る。
いつもよりひとり分重たい紙袋をぶら下げて、ふたりで食べるごはんを思い浮かべながら、秋風の中を颯爽と、幸せを纏いながら、ゆっくりと歩いた。