誰かに期待するということ

自分の性格的に「誰かに期待しないということ」という内容でもなんらおかしくはなさそうだが、今日の思考は期待する方に軍配を上げた。

人に何かを依頼して、その結果が期待していた程のクオリティではない場合というのはありがちなことだと思う。

これは、自分が期待していたレベルのものがどういったものかを適切に相手に伝えられていたか、抽象的な依頼の仕方をしていないか、などの自分側の努力の要素が結果に関連してくる。それを怠り、出てきたものが自分の望むものでないとしても、相手を責めるのはお門違いだ。自分が悪い。

間違いなく自分が望むものを相手に伝えた、と自信をもって言える場合でもちょっと待って欲しい。当たり前だが、大事な要素がある。

相手のレベルだ。仮にこれぐらいできるだろうと思っているからこそ依頼をしたとしても、本当に依頼相手を見極められているか?

何処をどう判断した? 相手との関係性も薄い中だとしたらわかりやすい情報に飛びついていないか? 周囲の人が褒めていたからとかではないよな?でも、これ自分にも当てはまるところがある。

まあ、実際はいちいちこんなことを考えている時間が無い場合もある。

その場合は、譲れないポイントを1,2点程絞った上で相手に伝えたいところだ。間違っても自分がテキトーに依頼をしているのにも関わらず、全ての項目が高クオリティであるものが出てくると高望みをしてはいけない。

自分がテキトーだと思っているレベルが、相手にとってはクオリティが高かったり、自分が高クオリティだと思っても、相手が低クオリティだと思う場合がある。

依頼する側とされる側が同レベルであるとお互いに判断しやすい。

自分が低レベルで相手が高レベルの場合の依頼が叶った場合は、色々と得られるものがあるだろう。

相手を過小評価しても過大評価してもいけない。期待以上の結果が出てきた場合は素直に称賛の言葉を贈ろう。なんか上から目線だな。

また、仕事などであれば極力依頼をされないように手を抜いている場合が考えられる。僕がそうだと言いたいところだが、基本そんなことはしない。

相手が望むクオリティがわからなくても自分の基準に沿って依頼に応えているつもりだ。それが客観的に見てどうかはわからないが。

特にあまり関わりのない人の場合は、少し力を入れる傾向があると思う。
初っ端から舐められるのも嫌だし。(と本人はこう言っている。)

最初から相手に期待していないというのはある意味思考停止だ。もちろん期待できない相手もいるだろうが、相手に自分の期待に応えてもらうにはどうすればいいかを考えるのも依頼側には必要だ。

僕が仕事上であまり人に依頼をしたがらないのは、自分が思うレベルを示す資料を作るのが面倒だからだ。そんな時間が無い。時間があれば自分でやる。こういった葛藤がある。

誰かに期待することを肯定するためには、自分の審美眼的なものを養うことや、情報(の裏)を読み取る力、的確に情報を伝える力を鍛える必要性があると思う。

そのためには自分の外にある様々な情報に触れることが特に重要になってくると考えている。

誰かに期待できるようになるために自分に期待しているともいえる。

今日の自分は誰かに期待している。明日の自分は誰かに期待していないかもしれない。

おわり

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