何も思いつかねぇ祭りのあとで
何かを思いつきたいのだけど、何も思いつかない。そういうことある。クソほどある。自分の凡庸さにあきれちゃうよ。まったく。
次やるイベントの企画だったり、記事として書くネタだったり、今晩の夕飯メニューだったり、いろいろと思いつかない。なんでか、頭がプスプス鳴ってショートしてしまっているようで、思考停止。こうなったら、閉店ガラガラ。
パソコンをのぞき込んでも、ノートを眺めてみても、無、無、無、無、虚無と、真っ白だか真っ黒だかの世界が広がっている。机の上に座っているだけで、うなってみても、搾りでない。そもそも搾り出すための「素」がないような気がする。
「静的」な態度では、おそらくきっとたどり着けない。だから「動的」な態度に切り替えるしかない。座して待ったとて、きっと出てこない。自分のできなさに狼狽してネガティブモードに移行するだけ。気がつけば、寝ちゃってるだけ。余計ぐったりすり。
動的にアイデアを引き寄せるやり方は、ふたつある。
一つは、ひたすら、立ち止まらず、身体を動かすこと。散歩もいいし、炊事・洗濯・掃除・草抜きなどの単純作業の家事で手足を動かし、その刺激で考えなくちゃいけないことを考えさせる。「ながら」のときの方が不思議と「あっ」と驚く発想ができちゃったりするものだ。思いついたことを忘れないように、メモとかできる用意だけどお忘れなく。
もう一つは、いろんな情報を入れて、その反応で思いつくのを待つ。ユーチューブでも、ニュースでも、映画でも、本でも何でもいい。文字や絵などのビジュアルの刺激をもらう。あとは、食事も情報の一つだったりするので、珈琲を飲んだり、間食やがっつりメシを腹に入れたりすると、その刺激が何かのスイッチになって思いついちゃうこともある。やったことない「体験」をして五感をつついてみるのもいい。
ようは、ふたつともに「刺激(反応」」を積極的につくりにいくための方法で、思いつくためのツボになるんじゃねーかってことをいろいろ試す。ガトリングガンのように数打ちゃあたるときもあれば、ある程度やってると自分が思いつきやすい刺激のカテゴリが掴めてもくる。とにかく、自分のセンスを信じず、反応(の連続)を信じてみる。
仕事や習慣として、何かを定期的に出力しなくちゃいけない人、出力したい人は、ひらめきやすい人ってわけでもなく、この「何も出ねぇぞ!」ってときの刺激を熟知してる人のように思う。何も思いつかない・・・・・・いや、思いつかなくなってからが本当の勝負なのよ。