アートエッセイ〜耳をすませば〜《アニミタス(ささやきの森)》より
作品名:《アニミタス(ささやきの森)》
アーティスト:クリスチャン・ボルタンスキー
その作品は、香川県豊島にある。豊島はその名の通り豊かな自然を持つ島だ。島のほぼ中央に山がそびえ、湧水に恵まれたその地では、みかんやいちご、レモンの栽培がなされているが、かつては稲作や酪農も盛んだったそうだ。
しかし1970年代から、長年にわたる産業廃棄物の不法投棄により、島民の生活は不安にさらされ、農作物も深刻な風評被害にあった。実際、豊島産では売れないため、小豆島産として出荷していたほどだ。
そうした不条理な環境の中、島民の方々の必死の努力や行政への働きかけによって、現在島は再び息吹を取り戻しつつある。しかし未だに残る課題もあり、現在進行形で本来の豊かな島再生に向けた取り組みが続いている。
豊島は、こうした厳しい歴史を経てきたからこそ、今日まで脈々と続く歴史や島が包括している記憶、そしてその祖先について考えるに相応しい場所になったのだ。
またそれら歴史や記憶は、訪れる人によってそれぞれ異なる意味を持つ。つまり、非常にプライベートで唯一無二の、個人が内包する記憶とも結びつく場所となっているのだ。
クリスチャン・ボルタンスキーが探求しているテーマは一貫して、一人ひとりの生(存在)と死(消滅)、そしてその痕跡となる「記憶」である。
そして、それらテーマを内包している《ささやきの森》は、島内で一番高い檀山の深い森の中に数百の風鈴を設置したインスタレーションだ。
山道をおよそ20分、次第に色濃くなる森の匂いを嗅ぎながら登って行くと突如現れる。
無数の風鈴がさざめき、奏でる音。風にたなびく細い木々、柔らかな黒土の匂い。それぞれの風鈴には「誰か」の大切な人の名前が書かれた短冊が付いている。
「アニミタ」とはスペイン語で「小さな魂」を意味するが、アニミタスシリーズもう一つの舞台であるチリでは、交通事故などで亡くなった人々に手向けられた路傍の小さな祭壇のことを指すそうだ。
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その場所が私に思い出させたことは、母方の祖父母の死だった。
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祖母の告別式の日は良く晴れた。冬特有の澄んだ空と
ヒヤリとした空気、玄関横に立つ藤色の花輪ー藤色は、かつて祖母の好きな色だったー、自宅から棺を運び出す男衆、青空の下立つ黒い喪服の人々。その日見たものは奇妙に明るく感じられ、不謹慎かもしれないが全ての瞬間を美しく感じた。鎮座する花輪は、私たち親族及びその日一日を見守っているようで、不思議な存在感があったのだった。
その3年後、祖父の死去の知らせを聞いた日に私は東京のマンションにいた。そしてその夜、私の元に祖父の霊魂がやってきたことを感じた。
それは突然の出来事で、布団に横たわっていた身体に何か熱いものが巡り、全身がカッと熱くなった。かと思うと今度は途端に寒くてたまらなくなり、春先にも関わらず悪寒が止まらない。直感的に祖父だと分かったのだが、正直に言うと祖父を感じられた嬉しさより、勘弁してくれといった感じ。その時は怖ろしくてたまらなかった。
祖父はお酒が好きだったので、咄嗟に冷蔵庫にあったビールとおつまみを出した。そうして寒気が通り過ぎるのを待っていると、そのうちに光の玉のようなものがポウッと窓辺に現れ、そのまま消えてしまった。
その後、先ほどまで感じていた寒気もすっかり無くなったのだが、机に置かれたビール缶を見ると祖父のリアルな魂の感触を思い出し、またしても怖れがこみあげてきたのだった。
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祖母の神々しく美しい魂を藤色の花輪によって感じられた。祖父の魂に対する、ある種畏怖のようさ恐ろしさを缶ビールを見ることで感じられた。
とすると魂は、生者と死者が共有している記憶にも宿ることができるのだろう。なぜなら生者の記憶は、かつて死者が残した痕跡でもあるのだ。
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《ささやきの森》を漂ようものたちを想う。
島を盛り立て、また島に支えられた遠い祖先たち、風鈴の短冊に書かれている個々人の大切な人たち、豊島という土地そのものが内包する記憶、そしてクリスチャン・ボルタンスキーその人の想念。それらはどこにいるのだろう?何に宿っているのだろう?風鈴なのだろうか?
いや違う。それらは風鈴ではなく、風鈴を揺らす側ーそれは時々私たちの言葉で言うところの「風」になる。ーにあるのだと、ふと感じる。
風鈴は、私たちがそのものたちの存在を認識するための装置にすぎず、本当はずっと私たちと共にある。作品が見えなくなっても、風が止み風鈴の音が聞こえなくなっても、ずっと共にあり続けるものなのだ。そう感じられた。
私たち生者は、物質的に見えないと、聞こえないと、存在を認識できない。そんな私たちのために、世界にはたくさんのリマインダーがあるのではないだろうか。
《アニミタス(ささやきの森)》もその一つなのではないだろうか。そして私にとっては藤色も、缶ビールも。
死者を弔う祠を見て、故人を偲ぶように。
先祖の墓前で、手を合わせ祈るように。
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ささやきの森からの帰り道、山道を下っていると、微かな風鈴の音色が森の中から聞こえてきた。
全く同じ道を歩いていたのに、行きには聞こえなかった音が聞こえる。これは非常に面白い体験だった。
作品までの道中も一つの体験であり、私にとってはこの体験こそが真髄だと感じた。
もしかすると私は今もなお、ボルタンスキーの作品の中にいるのかもしれない。そんな気持ちにもさせられる。
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『声なきものに耳をすませよう。世界は見えないものでできている。』
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最後に、ボルタンスキーは作品についてこう語っている。
「この作品は終わりのない作品であり、いつかこの森が風鈴の音で満たされることを願っている。そして、やがてこの場所は、私の名前が忘れ去られたあとも、人々が大切な人を敬うために訪れる巡礼の地になるかもしれない。」 ― クリスチャン・ボルタンスキー
数百の風鈴は、ボルタンスキー生誕時の星の配置を描いている。ボルタンスキーもまた、ここに記憶の痕跡を残したのかもしれない。