サンフランシスコ
大好きな街。最初に行ったのは卒業旅行。その後30回以上行くことになる。
最後に行ったのは約20年前。スコット・マッケンジーの花のサンフランシスコを聴くと懐かしい想い出が蘇る。あの頃に戻りたい。
卒業旅行へは今でも仲良くしてくれている友達4人と。
ロスアンゼルス~ラスベガス~サンフランシスコ~ハワイの2週間ツアー。
サンフランシスコのジャパンタウンで夕食のお店を探していた。
僕らは寿司と決めていた。すれ違いの日本人らしきお方に声を掛ける。
そのお方は佐藤さん。現地でツアコンをされていた。
「福寿司」をお勧めいただいた。なぜか一緒に「福寿司」へ。
僕ら4人にご馳走してくれた。とても美味しかったのを憶えている。
食事が終わると自宅へ来ないかと誘われる。
おいおいここはレインボーフラッグの街サンフランシスコだぞ。きっとそうに決まってる。などとこそこそ話しながら佐藤さんの家へ歩いて行く。
ジャパンタウンから近い場所だった。
一人にしては広すぎる白壁の部屋。何部屋あるのだろう。窓から見えるサンフランシスコの夜景がとてもきれいだ。
佐藤さんはミリタリーグッズのコレクションが趣味であった。薬莢の入っていない拳銃などもあった。記念に何かプレゼントしてくれると言う。
僕は迷彩のミリタリージャケットをいただいた。
そろそろ何か始まるのかと覚悟を決めていたが
「帰りは気をつけてね」
そそくさと送り出された。
真夜中のダウンタウン。とても怖い思いをしながらホテルまでの長い距離を歩いた。佐藤さんはただのとても良い人だった。
2回目は24歳の時。
子供服の古着屋を開店したいと思った3日後にサンフランシスコに居た。
知り合いがいると思って行ってみたがあいにくハワイへ旅行中。
やむなくダウンタウンのホテルを予約し1人で動いた。
初めてのアメリカ1人旅。バスの車窓から見る光景を見て不安になった。 ビビッていた。
滞在中はファストフードばかり食べていた。たまには旨いものでも食べたいと思いチャイナタウンへ。ある上海料理屋へ入ってみた。英語のメニューはよくわからない。
「Fried Rice」は何となくチャーハン。チャーハンだけでは寂しいので何か1品。多分これ酢豚だろうと思う1品をオーダーする。すると、
「Something to drink?」
何とか聞き取れたので青島ビールを頼んだ。
続けて「Would you like some soup? 」
「スープ」という言葉も聞き取れた。
アメリカ初心者の答えは「Yes」しかない。
ビールを飲んでいるとバケツのような大きな器のスープが出てきた。
取り敢えずいただく。全部飲んだらチャーハンも食べれない量であった。
続いて花瓶のような容器に酢豚っぽい1品がテーブルの上には運ばれてきた。全くもって酢豚ではなかった。
とどめは3人分はあるであろうチャーハン。
何だか店員笑ってないか?
こちから言うまでもなくドギーバッグが出てきた。
翌朝のヘビーな朝食となった。
仕事と言っても子供服の古着や雑貨の買い付け。朝から晩まで郊外のスリフトショップやアンティークショップをひたすら回る。
"43rd Ave "の坂の途中に家があった。知り合いが借りていた一軒家なので宿代はかからない。窓からは海が見えた。
こんな楽しい仕事はなかった。朝は必ず「Peet's Coffee」に寄りフレンチローストを。この一杯に勝るコーヒーに未だ出会えていない。
「Peet's Coffee」のフレンチローストを飲みながらダウンタウンを抜けベイブリッジへ。ベイブリッジの下側を通りオークランドへ向かう。
ヘイワードへ抜ける "Mission Blvd" にスリフトショップが数軒ある。その途中のある地域がとても危険だという話は聞いていた。そんなところに行くのが好きだった。小さなお店はほとんど鉄格子。興味本位で立ち寄ったファストフード店には警官が1名必ずいた。トイレの鏡はない。きっと盗まれたか割られたのであろう。
「ここはそんなに危ないのか?」
そう聞いてみると黒人の警官に鼻で笑われた。
ヘイワードまで辿り着くとそのままサンノゼへ下るかバークリーに行くかウェアハウスへ行く。ウェアハウスとは現地のディーラーが良いものばかり集めて個人売買する倉庫。そこへは子供服のヴィンテージを物色しに行く。
ウェアハウスに行ったある日のこと。そこで不覚にもインロックしてしまった。借りていた車はごっついアメ車。スチールハンガーを伸ばしよく見るやり方で外側の窓から開けようとするがびくともしない。辺りも暗くなり小雨が降ってきた。そんな光景を見たブラザー達が寄ってきて「何やってんだ?」的に声を掛けられる。俺にやらせろとハンガーを取られた。やはりびくともしない。奴らは諦めが早かった。
このままでは帰れない。根気よく作業を続ける。少しずつ中のレバーが動き出し2時間後にやっと開けることができた。数人の観客は大歓声。ハイタッチで歓迎される。辺りはすっかり暗くなっていた。問題解決かと思いきや、運転席のドアは外からは開くが中から開かなくなってしまった。
翌日レンタカー屋へ。
「おたくさんはドアが開かない車を貸すのか」
カローラに変えてくれた。ついでに値引きもしてくれた。言ってみるものだ。最初からカローラにしておけばよかった。
サンノゼにもウェアハウスにも行かないときには行きつけのベトナム料理屋かタイ料理屋で腹ごしらえ。
そしてバークリーは "Telegraph Ave."へ向かう。目的はレコード。
『Amoeba Music』と『Rasputin Music』へ行き1ドルコーナーのレコードを端から端まで見定める。端から端まで見ないと気が済まない。最長6時間居座ったことがある。そこで買ったレコードは今でも大切にしている。
日も暮れて
ベイブリッジの上側を走りサンフランシスコへ戻る。
右前方に見えるダウンタウンの絶景はたまらない。
※ヘッダーはHarunaさんの画像を使用させていただきました
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