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真正面の千本ノック

千本ノックとは、野球における守備練習の一つである。
捕れそうで捕れないところに球を打ち、左右交互に打ち分け、捕る者は食らいつき球をキャッチする。

「高校球児」か「巨人の星」を思い浮かべてしまう泥臭さだが、このお二人が千本ノックしたらどんな感じなんだろう。

上野千鶴子 鈴木涼美「往復書簡 限界から始まる 」

<簡単あらすじ>
女の新しい道を作った稀代のフェミニストの上野と、その道で女の自由を満喫した気鋭の作家である鈴木が限界まできた男と女の構造を率直に、真摯に、大胆に、解体する。

すごかった!
真正面からノックする上野さんの直球を、しかと受け止める鈴木さん。
少し外れて送球するもんなら、直球で投げ返してこい!と、上野さんに叱咤されるも怯むことなく、拾っては投げ返す鈴木さん。

「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」「結婚」「承認欲求」「能力」「仕事」「自立」「連帯」「フェミニズム」「自由」「男」について、往復書簡にて赤裸々に綴るお二人。


「ギフテット」に続き芥川賞候補作の「グレイスレス」も文學界2022年11月号の文芸誌で読む。

<簡単あらすじ>
アダルトビデオ業界で化粧師(メイク)として働く聖月(みづき)。彼女が祖母と共に暮らすのは、森の中に佇む、意匠を凝らした西洋建築の家である。まさに「聖と俗」と言える対極の世界を舞台に、「性と生」のあわいを繊細に描いた新境地。

前作の「ギフテット」でも、真正面からは「フェミニズム」のことを描いていないのに伝わってきた。
鈴木さんにしか描けない「フェミニズム」がある。

そう感じたのは、「限界から始まる」を読んだからなのか?

鈴木さんは、教育者の両親のもとで育ち、母親への反抗心から「母が嫌うものになろう」と考え、AV女優になる。

カラダを売っても自分は変わらないことを母に証明しようとするも...業界にいると女は搾取されづづける。
だが、被害者の顔をせずに「害」を断罪することができるとも考える。

それに対し上野さんは、

ご自分の傷に向きあいなさい。痛いものは痛い、とおっしゃい。人の尊厳はそこから始まります(本文より)

私のようなちっぽけな自尊心を持つものでも、痛いと口にしたくないことに対し、直球を投げられたら金縛りの如し一歩も動けなくなる。

でも鈴木さんは、千本ノックに挑む。

だれも教えてくれなかった「売春してはいけない理由」についても、上野さんとの往復書簡で自分なりの答えを導きだす鈴木さん。

はしたないとか危ないとか自尊心が汚れるとかいう理由以上に、他者に対して持つリスペクトがねじれてしまうことへの危機意識なのかもしれません。(本文より)

また、鈴木さんの「グレイスレス」刊行インタビューにこうある。

「今回扱ったポルノ業界は、それこそ論破王みたいな人に『そもそも外で撮影とかしてるから、犯罪ですよね』とか言われたら一瞬で論破されるようなところです。でも別に、論破されたところで、否定されたところで、世間の大半に正しくないとみなされたところで、その場所で生きている人がいるというのは忘れたくないですね。(インタビュー記事より)

その場で生きている人が(ポルノ業界)いるということを忘れたくない。
まさしく、他者に対して持つリスペクト...なのではないかと。

「限界から始まる」を読むと、鈴木さんの小説には、母親の影が濃い理由もわかるし、男に期待していないこともわかるし、どこを切り取っても典雅な美しい文体が好きにもなるし、フェミニズムについても知りたくなる。

「フェミニズム」なんて、賢い人が唱えればいい。

そんな風に他人事に考え、「わきまえて」いたが、「わきまえない」声が、微風でも変化の風穴をあけるのではないか。

上野さん未満、鈴木さん以上の年齢のわたしは、「わきまえる」ことが、女性のたしなみのように促され育ってきた。

だからこそ「フェミニズム」についての本を読み、学んでいきたい。

上野さんは言います。

社会変革とは、ホンネの変化ではなく、タテマエの変化だと考えています。そして、そこまでが限界だと考えています。(本文より)

タテマエの変化が今後どう変わっていくのか気になる成人の日。
♪日本の女はwow wow wow wow♪

#今こそ学びたいこと

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