「不要不急」と言われた場所は、僕の大切な”居場所”だった
年末、好きな漫画家さん(ごめん@gomendayo0さん)のインスタの投稿に目が止まった。
「Zher the ZOO YOYOGI」 が閉店。
僕の学生時代を支えてくれた、”居場所”であったライブハウスの歴史が、幕を閉じた。
代々木のザザズは、姉妹店の下北沢CLUB Queとともに、僕にとって思い入れの強い箱だった。
中学生のときからバンドを好み、ライブに行くようになった。
高校に入学してから、出会った友だちの影響を受けて小さいライブハウスにも通い始めた。16歳の頃だ。
はじめて行ったのが、下北沢のCLUB Queだった。
イベントは、毎年開催されている「夏ノ陣」。
地下に潜って、サイゼの下にあるライブハウスに足を踏み入れた時の高揚感は今でも覚えている。
ZeppやBLITZの何分の一かの狭いスペース、演者に触れられそうなくらいステージが近くて、前に行き過ぎるとセットリストが見えてしまう。
D.W.ニコルズの「バラとバラード」でライブが始まった瞬間から、夢中になった。
終わった時には、スピーカーに近い位置で見ていたから耳鳴りがなかなか治らなくて、それがなんだか心地良かった。
ほかのライブハウスにもたくさん行ったけれど、Queは特別な箱であり続けた。
Lucky13、UNISON SQUARE GARDEN、LUNKHEAD、ソレカラ、ヒラオコジョー・ザ・グループサウンズ、つばき、メレンゲ、セカイイチ、LOST IN TIME、ひらくドア、THEラブ人間、、
そこで出会ったたくさんの音楽は、学校も部活も人間関係も恋愛も、周りの人のようにうまくできなくて悩んでいた、冴えない日々に寄り添ってくれた。
10代の僕は人と話をするのが苦手で(今も得意ではない)、すぐに人を嫌って、自分ができない理由は全て周りのせいにしていた。
心の奥底では、自分の情けなさが自分のせいでしかないと、理解しながらも。
そんな自分が大嫌いで、消えてしまいたいと何度も思った。
だけど、Queに行けば安心できた。
消えたいなどとは思わなかった。
そこに好きな音楽と、日頃のことを忘れて没頭できる空間があったから。
Queは当時の僕にとって、大事な大事な”居場所”だった。
成人した頃からやっと、人と関わって、向き合うことができるようになってきた。色々なことにもチャレンジし始めた。
その一つが、ライブハウスでの企画イベントだ。
軽音サークルで出会った友人とともに、持っている人脈を駆使してバンドと人をかき集め、大学の近所のライブハウスで企画をはじめた。
初めての企画は、会場がパンパンになって、打ち上げも朝まで盛り上がり、大成功だった。大袈裟ではなく、生きていて良かったと思った。
次のイベントはどうする、というタイミングで、僕はQueに企画を持ち込んでみることにした。
本当は1回目からQueでやりたかったけれど、敷居が高くて勇気が出なかった。だけど、自分が今立っていられるのは、16歳の夏、下北沢に安心できる”居場所”を見つけたおかげだ。
やっぱりQueでやりたい。
突然のアポで押しかけて、キョドり気味に話す僕を、店長は受け入れてくれた。夢物語のような出演者(ほとんど断られた)が書かれた企画書に真剣に目を通してくれて、とりあえずやってみなよと日程を押さえてくれた。
イベントタイトルは、自分を助けてくれた”居場所”と音楽がずっと続いていきますように、という思いを込めて、今思い出すと恥ずかしくなるくらいどストレートなものにした。
ガムシャラに進めたQueでの企画も、なんとか形になった。
的外れなことや空気を読めないことも言ってしまって少し気まずい思いもしたけれど、継続して企画をやらせてもらった。2回目をやりたいというメールに、店長から「そのための1回目だよ」と返信をもらった時は、すごく嬉しかった。
その懐の深さには、感謝してもしきれない。
店長以外にも、お世話になったスタッフさんがいた。
ブッキングを担当されていたスタッフさんは、アドバイスをくれたり、呼んだバンドを褒めてくれたりした。
たしか、僕らにとってQueでの2回目のイベントのタイミングで、「Zher the ZOO YOYOGI」に異動していた。
「良かったら、代々木でもイベントやってね」と言ってもらったときは、少し認めてもらえた気がして嬉しかった。
そのスタッフさんが企画していたハレチカというイベントも、何度か観に行った。ザザズは、Queとはまた雰囲気が少し違うライブハウス。
音響が良くて、ここでもいろんな良いバンドと出会えた。
Queに客として一緒に通っていた友だちのバンドマンが、「今度ザザズ出るよ」と嬉しそうに言ってきたのも覚えている。愛されているライブハウスであり、僕にとっても大切な場所だった。
社会人になってから、地方転勤で東京を離れたこともあって、Queにもザザズにも、ライブハウス自体にも足を運ぶ回数はかなり減ってしまった。
4年前に東京に戻ってきてからも、仕事が忙しくなったり、プライベートな環境が変化したりで、なかなか行けていない。
いつかまた昔みたいに行く機会があると良いなと、悠長なことを頭の片隅で考えていたら、コロナで状況が変わってしまった。
ライブハウスは去年クラスターが起きて、それに伴う風評被害が広がり、大きなダメージを受けた。
SNSで、テレビで、無責任にライブハウスは「不要不急」の名のもとに悪者かのように扱われた。
腹が立って、悲しくて、でも自分にできることはほとんどなくてやるせなかった。
もし、ライブハウスが、音楽が「不要不急」なのだとしたら、10代の僕のことは誰が救ってくれたと言うのだろう。
誰が、何もわからない大学生の僕にチャンスを与えてくれたというのだろう。
一体誰が、音楽が好きな若者を、育てられるというのだろう。
少なくとも、16歳の僕が通っていた高校の近くの、永田町の大人たちでは無いことはわかる。
Queとザザズのホームページには、オープン当時からの全てのライブが記録された、スケジュールが見られる。
今では誰もが知っているような有名バンドのライブから、僕のような大学生がやったイベントまで、全てを残してくれている。
高校生の頃から覗いていたページに名を連ねられたときは誇りに思ったし、今もこれからも自慢だ。
その一つ一つのライブが、お客さんを、バンドマンを、スタッフを、ライブハウスに関わる人を救ってきた。
そして、僕のような何もなかった若者にも手を差し伸べ、育ててきた。
側から見たら興味がない、何の意味があるかわからない場所は、誰かにとっては大事な”居場所”だ。
でも、それはよく目を凝らせばわかる。
人の数だけ”居場所”はあって、それは日々を生きていくために必要だ。
そのことに気付き、認め合える優しさが、もっと世の中に溢れて欲しい。
「Zher the ZOO YOYOGI」はその場所から姿を消してしまったとしても、ずっとずっと、僕にとっての大切な”居場所”だ。
ミニアルバム / ひらくドア
<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。
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