格好良く生きたいなら、格好付けんなよ。
久しぶりに、寝室に置いてあった浅野いにおの「零落」を手に取って読んだ。
仕事にだけ没頭しながら30代後半に差し掛かった漫画家が、長年に渡る代表作の連載を終え、それと同時に破綻しかけていた夫婦関係も終わりを迎える。空虚感に襲われた漫画家は、堕落した日々を送る。
それでもなんとか踏み出そうと、担当編集者に思いの丈を電話でぶつけて、新しい作品のために筆を取ったときの心情が印象的だ。
僕は漫画家ではないけれど、この描写はかなりグサっとくる。
30代にもなると、出会ってきた人の数も結構なものだし、営んできたこともたくさんある。
生活も仕事も、役割や立場みたいなものが出きていて、ある程度こなせるようになってきた。
10代が持つ無邪気さや、20代が持つ根拠のない希望はほとんどなくなっていて、30を超えた自分は体力が落ちてきていることも自覚していて、なんとなくの虚しさを感じる瞬間もある。
良くも悪くも現実的になって、現実的に生きていくための安定もある程度は手に入った。
現実的になった分、歳を重ねた分、なんでも上手くできるようになったかと言うと、そうでもない。
20代の頃、30を超えた人たちがやけに大人びてみえたこともあって、歳を取れば勝手にどんどん成熟していくものだという勘違いをしていたのかもしれない。
その反動かわからないけれど、自分の足りなさや至らなさに突き当たると、すごく落ち込んでしまう。
物事が全くわからない訳でも、高過ぎる理想を掲げている訳でもないのに。
それでも、まだまだ自分は足りない。
できるだけ回避しようとしても、恥ずかしさを感じる瞬間もまだある。
そんな折に、Twitterを開くと、阿部広太郎さんからDMが来ていた。
理想ばかり掲げてもがき苦しんでいた20代、感情的になりながら這い上がるために、僕は阿部さんの本やSNSをよく読んでいた。
知らせていただいた、阿部さんが最近出した新しい本「あの日、選ばれなかった君へ」を買って読んだ。
阿部さんの独りぼっちだった中学生の頃の話や受験期の不安定な心情、大学時代のおぼつかない感じ。
そして、社会に出てからのもがき苦しみ。
自然と学生時代の頭を抱えたくなるような思い出がフラッシュバックして読み進めるのがちょっと辛くなりながらも、読み切ったときには「これでいいんだな」と思えていた。
年齢とかは関係ない。
そのときそのときで、うまくいかないことにはぶち当たるし、恥ずかしいことや苦しいことはたくさんある。
それら一つ一つを、どう消化して、どう前に進んでいけるか。
「零落」の主人公の漫画家が、最後には新作を読者に届けることができたように。
阿部さんには、率直な感想を送った。
「めちゃくちゃ格好悪くて、めちゃくちゃ格好良かったです!」
「零落」の漫画家しかり、阿部さんしかり、30代がもがきながら前に進む姿は、10代・20代のそれと変わらず、格好悪くて格好良かった。
この文章を書きながら、西加奈子の「漁港の肉子ちゃん」をふと思い出して、スマホの中を漁ってメモを見つけた。
昔、よく読み返していた文章だ。
社会人になってまだあまり経っていない頃に「もっと恥を曝け出せよ」と上司や先輩に言われたときに読んだ本で、その時はことあるたびに読み返していた。
経験もないのにスマートにやろうとしている自分への戒めのような文章にしていた。
昔見ていた30代の人たちの残像があってか、最近の僕もスマートにやろうとしすぎていたのかもしれない。
あの先輩たちも、若造からはスマートに見えていたけれど、きっとたくさん恥をかいて、もがき苦しんでいたはずだ。
少しできることが増えたから、わかったような気になって、もがくのをやめたら、終わりなのかもしれない。
最近「零落」の漫画家のように少し感じていた空虚感は、もがかずに諦めようとしていたからなのだろうか。
生きていく以上、恥をかいて、この日々を何かに繋げていきたい。
格好悪さのその先に、本当の格好良さはある。
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