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傷口が、かさぶたになるまで。

記録はたった9m。
早くここから逃げ出したい。
どうにかこれ以上恥をかかない方法を考える。
倒れたフリでもしようかという考えが頭をよぎるけれど、そんな度胸は持ち合わせていなかった。

ソフトボール投げなんて、スポーツテストなんて。
一体誰がやろうと言い始めたんだろう。
運動ができない人の気持ちを考えたことはあるのだろうか。
恥を晒すのは、運動会だけで十分だ。

ただ今日のスポーツテストは、去年僕が小学3年生になると同時にサッカーチームに入ったから、ソフトボールで自分の番が来るまでは楽観的だった。
運動ができる同級生と一緒に1年間身体を動かしてきたし、サッカーをやっているときは褒められることもある。
自ずと運動神経がよくなった気になっていた。
けれど、それは甚だ勘違いだったことに、ボールを投げてから気付いた。

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「頑張ってー(笑)」
後ろで順番待ちしている、クラスの賑やかな集団の茶化すような声が耳に入ってくる。

落ち着こう。
みんなと一緒になってとろいと馬鹿にしている太田くんですら、20mも飛ばすことができたではないか。アイツにできて、僕にできない訳がない。
ソフトボールを握る手に、グッと力が入る。
こういうのは、とにかく一生懸命やることが大事だ。もう目を瞑って、思い切り投げてやろう。そうすれば20mくらい飛ぶだろう。

大きく振りかぶって投げた瞬間、しまったと思う間もなくボールは変な方向に飛んで行った。
「うわー、超あぶねー!」
ごめんと振り向くと、さっきまでふざけていた集団が、すごく非難めいた顔でこっちを見ている。後ろのクラスメイトめがけて投げつけてしまった。

火が噴くくらい恥ずかしくて真っ赤になっていた顔が、今度は真っ青に変わっている気がする。
心の中はぐちゃぐちゃで、もう立っていられない。
この前、全校朝会で熱中症になった時みたいに、視界がグルグルとしてきた。

「太、せめて目を開けてボールを投げなさい。そうしたらちゃんとみんなみたいに遠くまで飛ばせるよ。今のままじゃ女の子みたいだよ。」

早く次の人に順番を回したい先生が、馬鹿にしたような態度で呆れながら、苛立ちながら、声を掛けてくる。刺々しい言葉にちゃんと反応できない。
とりあえず言う通りにしないとと、目を開けて投げてみた。

弱々しくまっすぐ飛んだソフトボールの記録は、8mだった。
1回目が9mだったから、1m縮んだ。
目を開けてもみんなみたいにはならなかった。先生のくせに嘘つくなよと反発する気持ちが少し湧いたけれど、背後から投げ方が変だという笑い声が聞こえてすぐに恥ずかしさが勝る。

その後も最悪だった。
後ろから数えた方が早い50m走。
平均より遥かに低い握力。
背中を変に打ってしまった上体起こしは、全然できなかった。

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全てが終わって着替えるために教室に向かうと、チヤホヤされているナオキがいた。運動神経が良くて、男女から人気がある。まだ小学四年生なのに、彼女までいる。今日もたくさん目立っていた。
ナオキとは、同じサッカーチームに所属している。
学校でもいつも一緒にいるし、お互いの家にもよく遊びに行く。
親友、だと思っている。

だけど今日は、あまりにもふがいない自分が恥ずかしくて声を掛けづらい。それでもいつも通り、放課後は一緒に遊びに行くだろう。お前、ちょっとださかったよと、笑ってくれるかもしれない。良いからサッカーしようぜ、って何もなかったことにしてくれるかもしれない。
誘いたいなと遠くから見つめていると、目が合った。ナオキはいつものように笑いながらこっちに来るかと思いきや、すぐに目を逸らした。
この日、ナオキは僕に話しかけてくることはなかった。

そういえばこの前、先生が遠足の班分けをするために、クラスで仲が良いと思う人を3人ほど紙に書いて理由とともに提出しろと言ってきたことがあった。僕は「親友だから」という理由で、ナオキの名前を書いていた。ナオキも必ず、同じ理由で僕の名前を書いているはず。そう思っていたから、僕とナオキが同じ班にはならなかったことが、不思議で仕方なかった。
でも、そういうことだったのか。ようやくわかった。

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放課後は、1人で家に帰った。
ランドセルを置いてから暇を持て余したので、サッカーボールを持って近所の児童館に向かう。
いつも取り合いになるグラウンドに行くと、違う小学校の集団が野球をやっていた。今日のソフトボール投げのことを思い出して、泣きそうになる。

ぼうっと立っていたら、ヤーマンに声を掛けられた。
「お、太じゃん。遊ぼうぜ」
ヤーマンは、児童館にボランティアで来ている大学生だ。明るくて、楽しい遊びをたくさん思いつくから、みんなから人気がある。僕も大好きだ。

グラウンドで野球をしているのを見つけたヤーマンが、僕を誘う。
「野球やってんのか、一緒に入れてもらおうぜ!」
「うーん。いいや。」
「なんで?楽しいじゃん!」
「嫌だ、やりたくない。」
「絶対楽しいのに、入れてもらおうよ。」
「いいって!野球嫌いなんだよ!!」

思わず、大きい声を出してしまった。
ヤーマンは少しびっくりしたようだったけれど、すぐににっこりと笑った。
「わかった、太はサッカーが好きだもんな。
 じゃあその辺でボール蹴ろうぜ!」
ぶっきらぼうに了承して、仕方なくパス交換をはじめた。黙々とボールを、止めて、蹴る、止めて、蹴る、を繰り返していると疑問ばかりが湧いてきた。

なんで僕はみんなみたいにボールを投げられないんだろう。
ナオキがあの時紙に書いた、仲が良い友達は誰なんだろう。
誰にでも優しいヤーマンに怒るなんて、僕はなんでこんなに性格が悪いんだろう。
涙が堪えきれずに、地面に落ちる。

なぜ、先生は僕に優しくしてくれないんだろう。
なぜ、僕は太田くんに優しくできないんだろう。
なぜ、ヤーマンは僕に優しくしてくれるんだろう。
考えれば考えるほど顔がグチャグチャになって、ヤーマンの足元しか見ることができなかった。

「あ、ヤーマンだ!何してんのー?」
人気者のヤーマンに、他の子どもが声を掛ける。
きっとその子どもは、ヤーマンの向かい側で泣いてる僕を疑問に思ってるだろう。気持ち悪いとか、あとで言われるかもしれない。
「太とサッカーやってるよー!」
ヤーマンは曇りを全く感じさせない、大きな声で答えた。

大好きなサッカーボールを蹴り続けているうちに涙が引いてきた僕が、もうやめよう、と言うまで、ヤーマンは笑顔で僕にパスを送り続けた。

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スポーツテストで赤っ恥をかいてから、いつの間にか20年も経っていた。
自分が傷ついた時、周りで人が傷ついている時。
相手にどうして欲しいか、自分がどうしたら良いのか。
月日が経った今でも、よくわからない。
よくわからないけれど。
僕が泣き止むまで何度も何度もパスを送り続けてくれたヤーマンのことは、時々こうして思い出す。


セーシュン / DIALUCK

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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