感情にエビデンスは必要ない
空港で仕事の電話を終えると隣の席に座っていた淑女に話しかけられた。
「あなたってもしかして〇〇をやっている人?」
仕事の内容をピタリとあてられ焦った。
何か失礼なこと、言ってはいけないことなどを言っていただろうか。そもそも電話をしていること自体が迷惑だっただろうか。
「はい」と頷くと、淑女はニコリと笑い、機体が並ぶ滑走路に目を向けた。
「そうなのね、いい感じじゃないあなた。私も色々と仕事を任せようかしら」
私は首を傾げた。
淑女は夫と一緒にいた。
持っているバッグはISSEY MIYAKEのBAO BAO。スーツケースも綺麗に手入れをされていて、着ている洋服も質が高い気がした。
これから夫と旅行に行くという。
最初は淑女の自慢話が続いた。
自分の資産がいかに高級かつ多く、いいところに住んでいるか。ここまでお金持ちになったのは自分たちが一生懸命努力したからということ。たくさんの仕事をやってきたからこそ色々な経験を得たということ。
「だって、私お金大好きよ。そうやって自分でガツガツいかないとお金もちになれないじゃない」
「そうなんですかね〜僕そうやって考えるの苦手で」
「そんなんじゃだめよ。お金持ちになりたいって思って自分で動かないと」
なぜか怒られていた。
空港でもてあました出張前の暇な時間。私は一分一秒も無駄にせず仕事がしたかった。
捕まってしまったな〜と思っていたが、この突然の声がけと自慢話を楽しんでいる自分もいて、なかなか話を切り上げたりする気にもならなかった。搭乗時間まであと30分はある。
途中から風向きが変わったのは、私の仕事の話になったときだ。
仕事を言い当てられたこともあり、言えないことはのぞいて結構オープンに話してみた。
これまで手がけた仕事や今の仕事、これからのことなど。
淑女は時折質問を挟みながら、「うんうん」と好意を持って聞いてくれていた。
「良いと思うわ。いくつ?そんな若いの?あなたならまだまだなんでもできるからやりなさい」
淑女は私を気に入ってくれているようで、あまり話をきいていなかった隣の夫にも「この人ね、〇〇やっているんだって」と共有をし始めた。
「あなた、手を出してごらんなさい。手相を見てあげるから」
私は「?」といった感じだった。
占いは好きだ。しいたけ占いを見て勝手に元気になったりしている。
親友の美香と台湾にいったときは、米占いみたいな意味わかんないことをやって、白色が良いという情報だけを覚えて爆笑しながら帰国した。
大阪の路上で友達が手相占いを受けているのをニヤニヤしながら見たり、くじ引きでなんとなく運試しをしたりしていた。
何が言いたいかというと、占いを100%信じているわけではないものの都合のいいところは持ち帰って楽しんでいる。つまり好きなのだ。
「あなた、家柄がいいわね」
両親の顔が浮かんだ。周りの人と比較してどうかはわからないが、愛されていると思うし、何か不自由があった子供時代だったとは思わない。
「そしてね、あなたは運命線が手の根元から真上に上がっている。つまりね、あなたは成功する」
急に、すごい背中を押された。そして私は急な展開で少々混乱したものの、下手な知り合いから励ましや慰みの言葉をもらうよりずっと嬉しかった。
その後も続く。
「正義感が強いね。頑固。それはいいことなんだけど、あとは言い方を気をつければOK。とにかく言葉使いだけは気をつけなさい」
「ガラスのハート。このタイプはとにかく気を遣うタイプね。周りを気にしすぎてクヨクヨしているでしょ。気にする必要はないから、大丈夫。周りの感情は操れないんだからとにかく誠実でいなさい」
淑女の褒め言葉に、夫もどれどれと見にきた。どうやら夫も手相がわかるらしい。
「本当だな。このタイプは珍しい。いい運命線だ」
「でしょ。これは昔の政治家とかにいるタイプよね。一代で栄華を極めるタイプの」
淑女は私の手を握り、夫は私の手のひらを覗き込みながら10分くらい話し込んでいた。
今でもよくわからない状況だったなと思う。
だけど、私はものすごく嬉しかったのだ。
家族、パートナー、親友、友達、知り合い、同僚など大人になって色々な知り合いや関係性が増えた。
シェアハウスに住んでからはさらに「ハウスメイト」という関係も増え、人によって話せることが増えた。そして相談する先も愚痴を吐く先も何通りにもなった。
ただ、それが何か窮屈に感じるときもあった。
一人でいたい、でも寂しい、誰かには言いたいみたいな感情があった。
それをこの淑女と夫が満たしてくれたように思う。
向こうの名前は知らない。もう一生会うこともないかもしれない。でもそれでいい。あの時の30分が私にとっては貴重で不思議な体験になったのだ。
仕事では、こうやってよく知らない人と話をすることが多い。
でもなんの利害関係もなく、年代も性別も住んでいる場所が違う人と話すことってめっきり減ったような気がする。
何か目的を持ってやっている時間を有益と考え、予測できなかったりわからないことを無駄な時間と切り捨てていることはないかなと思った。
大学生の頃、大好きだったアーティストが「色々と無駄なことをやっている時間が好きだ」と話していた。当時、私は将来の仕事につながるわけでもないバレーボールを一生懸命やっていて、その時間を肯定してくれた気がして嬉しかった。
大学を卒業して社会に出て、何か実があると自分が感じられることばかりを追い求めて、どこか単調で答えの見えている生活のばかりをしていたように思う。そしてそれが苦しかった。
淑女と夫は、手相を見て無責任かもしれないが私のまだ見えない未来を応援してくれた。そしてその途方もないただの予想が、私は結構嬉しかった。
いいじゃないか、この感情にエビデンスがなくても。
楽しくてうれしかったんだから、それでいい。
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