紀尾井町に一人だけ味方がいた
就活をしていて、周りの全員が敵に見えたことは一度や二度ではない。特に出版社の選考を受けていたときは、あまりの倍率の高さに、周りが敵に見える確率がかなり高かった。しかし、紀尾井町にある出版社を受けたときに一人だけ味方がいた。三橋くんだ。
三橋くんと会ったのは、二次面接のグループワークの時だった。線が細く、メガネをかけた三橋くんからは賢さが漂っていた。自己紹介をする声も低く落ち着いていて、「こういう人が受かるんだろうな」と直感的に思った。一方私は体力と元気さだけが取り柄の体育会系男子。週刊誌をやりたいです!っていう熱意だけで押していたが、知識もそこそこしかない自覚があったし、根っから自信がなかった。
グループワークが始まる。社員からお題が発表された。
その出版社が書店で「日本を代表する10冊」というフェアをすると仮定して、どの本を選ぶか決めてくださいとのこと。出版社が出している本の一覧が配られ、よーい、どん。私は「終わった〜〜」と真っ白になった。
本の一覧をめくる。もちろん知っている作家もいる。ふむふむ。わかる、知っている、でも読んだことね〜〜〜。「村上春樹とかですかね」「山崎ナオコーラとかもいいですよね」。同じグループの人たちが話し出す。私は当時、村上春樹をなんとなく敬遠していて、山崎ナオコーラは流行っているよね〜って感じで読んでなかった。本当に終わったと思った。ああ、もうだめだと思った。
そこからは、同じグループの人たちの知識を披露する大会になった。「〇〇の〇〇とか、かなり人気あっていいですよね」「〇〇は〇〇賞とったよね」。私の脳内は「名前の知識はあります!その賞もこの出版社がやっているやつですよね!でも全然わかりません!!!」と大声が飛び交っていた。
でもその時に、チラチラと三橋くんが視線をくれているのがわかった。話せという催促でもない、心配しているという様子でもない、でも輪の中にあたなはいるというその視線のおかげか、どうにかして発言はしようと思えるようになった。時計を見る。あまり時間はなかった。
「あの〜」。私は恐る恐る声をだした。沈黙。怖い。でも、私は、誰もが幼少期に一度は歌ったことある歌の作詞家が最近亡くなったニュースを話した。その話ができたのは、一覧を見ていてその人の名前が載っていたという幸運に恵まれたからだが、中身は読んだことないけど、現時点の話題性を考えると入れた方がいいのでは?と伝えた。安定の微妙な空気だったが、どうにか10冊の中にそれをねじ込み、グループワークは終わった。最後に一人ずつ選考理由と、好きな本を言うという謎の時間があったが、全く手応えがなかった。
昼を挟み、午後から面接だった。昼はグループの人とコンビニで買ってくるという流れになったが、文学談義で盛り上がっている輪には入れず、登り坂を利用して後ろ後ろに下がっていきフェードアウトしようかと思った。
「坂本くん、さっきの発想すごいよかったね」。そんなときに声をかけてくれたのが三橋くんだった。「どう考えてもあの意見が一番良かったよ」。三橋くんは穏やかな笑みを浮かべていた。
そこから、三橋くんと昼の時間に話した。出版社を受けているのが場違いで恥ずかしい気がしてしまって、あまり自信がないこと。三橋くんは受かりそうだよねってこと。そして、これから僕らはどうなるんだろうねということ。
三橋くんは自分の話をしながらも結構私の話に耳を傾けてくれた。明らかに自分より落ち着いていて、社交性が高く、素敵な人だった。でも三橋くんはナチュラルに悪態をついた。「でも、周りの人たちの意見つまらなかったじゃん。あんな知識の披露誰でもできるでしょ。坂本くんがどう考えてもよかったよ」。彼の社交的で落ち着いている素晴らしい部分と、どうしようもなく人間的な面がとても好印象だった。
その後、面接が終わってFacebookを交換して散り散りになった。ただ、他の出版社の面接でも遭遇し、「俺ら受かるといいね」と笑ってくれた。ただ、私は全ての出版社の試験で落ちた。三橋くんは全ての出版社で受かっていて、度肝を抜かれた。100倍とかの倍率をくぐり抜ける人は違うんだなと思った。
社会人になってから一度、三橋くんに連絡したが、少しのリアクションがあってすぐに連絡が取れなくなってしまった。また会いたいと思うけど、きっと彼は私のことを覚えていないだろう。
だけどあの時、紀尾井町で浮いている気がして、ずっと息が詰まりそうだった私を助けてくれたのは三橋くんだった。何もない自分を褒めてくれて、少しだけ自信をもって就活に臨めるようになったのは間違いなく彼のおかげだ。
就活という特殊な状況の中で唯一見つけた味方だった。
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