下北沢で太と出会った。だからこのエッセイが始まった
走った。大学の体育館で着替えると、先輩への挨拶もそこそこに駅へ向かった。小田急線の急行に乗り込んだ。到着するといつもの下北沢がなんだか違って見えた。
下北沢についてもなお呼吸が浅い。南口商店街をぐんぐんと進み、小さな事務所の扉の前に立っていた。そこは憧れの場所だった。
大学3年。就職活動が徐々に迫っていたが、周りに比べて私の計画は順調だった。大学へ進学する際、バレーボールに打ち込みながらマスコミの勉強をする、と決めた。目標をどんどんと叶え、大学3年を迎えたころには、部活も勉強も好調だった。ただ、それでいいのかなと一抹の物足りなさがあった。順調だけど、目標が叶っているけど、この努力の先で何に到達できるのだろうと。
余暇がほとんどない日々を送っていた。週7日のうち、かならず予定が入ってた。授業がない時間はバイトをし、部活の試合のビデオを見てプレーを研究した。時間が少しできれば友達との予定を詰め込んだ。トレーニングだってしなくてはいけない。唯一何もしない時間は電車だった。大学生になって少し自分で使えるお金ができると、そのお金は雑誌か本かCDに変わった。電車で文字を追って、音楽を聴くのが定番となった。
ある日、音楽雑誌を読んでいると、ワークショップの知らせが出ていた。ワークショップの知らせは、なんというか温度感が高かった。何かを成し遂げたい、本気で音楽のことを愛している人に集まってほしいとさえ読み取れた。就職活動や将来について、一抹の物足りなさを抱えていた自分にとって、その募集文が訴える力はかなり響いた。「僕は就職活動を控えています。音楽が大好きです。そんな僕が音楽業界に進みたいと思える覚悟を持てる場所をください」。応募用紙に熱をこめて、送った。
結果は合格だった。あとから聞いた話によると、定員に対して十数倍の応募率だったという。ラッキーだなと思った。ラッキーと思った理由は、自分が音楽という舞台で何もやったことがないという自覚があったからだ。楽器が弾けるわけでもない、イベントを開いたわけでもない、ましてや音楽もあまり詳しくない自覚があった。好きな音楽は基本的にJ-POPとJ-ROCKのみ。こんな自分が参加していいのかなと、と不安になったくらいだった。
ただ、すごくワクワクしていた。部活、勉強、バイト、友人と遊ぶ以外の活動を、大学に入って初めてするに等しかったからだ。しかも、ワークショップの時期は、部活のオフシーズンがこれから始まるという時期で、部活も勉強も調整がしやすい時期だった。部活は1時間だけ早上がりすればあとは支障をきたさなそう。勉強も他の日にやれば試験に間に合いそう。そんな奇跡のタイミングだった。
下北沢の指定された小さな事務所へ行くと、これまで関わったことのないような人ばかりだった。年齢もよく分からない。共通点もあんまり見つからない。そしてみんなが大人に見える。お気に入りのVANSのTシャツ姿の自分がすごく子供っぽく見えた。
マジョリティーさを持っている自分が、ここではマイノリティなんだと気づいた。カルチャーについて詳しいことが、ここでは強いと察知した。自己紹介の時、周りの人たちが言っているアーティストはあまり分からなかった。「俺は場違いかよ、大丈夫かよ」と不安は最高潮だった。
ただ、1回目の講座が終わり外で話したときに、明らかに同じ温度感のやつがいた。それが太だった。なんというか、気を遣っているようで使っていないやつだと思った。同じ年だったこともあるのか、「腹割って話せや」みたいな空気を感じた。それが非常に楽だった。すぐに仲良くなった。
そこから約2ヶ月、毎週顔を合わせる同期たちとは徐々に打ち解けることができた。みんな良い意味でドライだったからだと思う。最初は気を遣っていたものの、互いが好きなことをやり、好きな音楽があり、仕事があった。それを肴に話し続け、酒を飲んだ。年齢も最大で10歳以上離れていたと思うが、全く年齢は関係ないように感じた。「で、このアーティストのどんなところが好きなの」と、いつでもニコニコしながら聞いてくれるような人たちばかりだった。
講座が終わっても、太、そして羽田くんとよく下北沢で飲んだ。学校の愚痴も音楽のことも、なかなかできない会話ができる友達ができたのだった。ライブにもフェスにもいって、音楽のことを話し続けた。
「じゃあさ、下北沢にでも行かない?」
友達と遊ぼう、飲もうという話になると、いつもこの街の名前をあげてしまう。お気に入りの店がたくさんあるわけではない。誰かの家に近いわけでもない。東京ではここにしかないお店があるわけでもない。なのに、この街を選んでしまう。
だけど、思い出の量が他の町に比べて明らかに違う。南口を出てすぐの地下のチェーン店で太は深夜にそばを食っていた。近くにあったすた丼の店でライブ前の腹ごしらえをした。激安ドラッグストアの面接に落ちた。ミスドの裏にある古民家カフェに通った。
寿司屋の前でロックスターを見た。定食屋の前で大好きな歌姫にあった。奥にある王将で太と羽田くんと飲んだ。商店街で芸能人を見た。外れの飲み屋でべろべろに潰れた。
古着屋で大好きな洋服に出会った。クレープ屋で友達とニコニコしながら甘いものを食べた。バレーボールの選手とすれ違った。美味しいコーヒーを初めて飲んだ。
下北沢に行くと、思い出に囲まれて安心できるのだと思う。小さな町にぎゅっとお店が集まり、個人店も多いその雰囲気が、僕の街と錯覚をさせてくれるのだ。
今週、太と羽田くんと下北沢で会う。どこに行くか、何をするかは決めていない。とりあえず飲もうって言っている。僕らの思い出を時折指差しながら、音楽の話も近況も話せるのが楽しみだ。
下北沢に行く時は、いつも心が跳ねているのだ。
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