表現を仕事にするということ-CLAMP展記録-
こんにちは。個性収集・研究家のおかゆです🐧
私がもつ属性はこちら。
毎日ホンキで生きてる変人です📡
真面目といわれるのはあまり好きではく「真剣なんだね」と言われると嬉しいです。
このnoteでは「おかゆ(好奇心の塊)」というフィルターを通してみた世界をお伝えしていきます🔭
なつかしのCLAMPさん
わたくし、実は根が深いアニメ・漫画オタクです。
小学生の頃(なんなら幼稚園)から、ロボット系/バトル系/SF/恋愛系/魔法少女系…少年、少女、青年など様々なアニメ・漫画をみていました。合わせると、今まで400作品ほど🤖🧙♀️🔥
学生時代は友達があまり多くなく、一人の時間はいつもなにかしらの「作品」に触れていました。
その中でも、当時の自分と共に過ごしてくれた作品として。
CLAMPさん作は圧倒的で、夢中になって読んでいた記憶です。
私が見た作品でいえば…
などなど…CLAMPさん作はほぼ全作みていたように思います。(CLAMPさんファンにいつも漫画を貸してもらっていた)
そして今年、35周年を迎えるかの創作集団の歴史を辿る…CLAMP展が開催されています。
今回、CLAMP展に訪れて感じたことを綴っていきたいと思います。
CLAMP展にいってきた
※中身のネタバレにならないように、できるだけ公式サイト情報の範囲内でお届けします。
CLAMP展は、原画、当時の貴重な資料、新作書下ろし…と、盛りだくさんの内容でした。
その中でも響いたのが、各作品のシーン、台詞に触れられたこと。
もう20年くらい前のことだろうに、記憶に残っている。
こういうシーン、あったな、と。
漫画を手に取って夢中で読んでいた頃の記憶、その当時の情景がほわっと浮かんでくる。記憶の引き出しというのは、眠っているだけで消えたわけではないのだと実感します。
特に印象的に記憶しているシーン/台詞は、このふたつ。
絶対だいじょうぶだよ
自分が落ちつめられたとき、勇気を奮い立たせたいときに思い出す台詞です。
という言葉をいってもらうと、私は安心する。
それと同時に、私も誰かに「大丈夫だよ」と伝えたいと思う。
私が「大丈夫」を大切にしているのは、さくらのおかげなのかもしれないな、と思う時があります。この言葉をきくときに、ほわっとさくらを思い出すことが多いので。
家族だって他人よ
当時、この言葉にどれほど救われたことか。
HOLiC1巻に掲載の内容で、出版は2003年。
私が9歳のころでした。たぶん、読んでいたのもその頃。
家族でも他人。
私は他者と同一でもなければ、分身でもなく、一部でもない。
小さい頃からわりと自分の意志を持っているタイプだったようで、親に強くは反発しませんでしたが『根幹的に理解できない部分』をよく感じていました。学校でも優等生タイプで、家庭でも反抗期はなかった。状況的に私が反抗期している場合じゃない、というのもあったと思います。
そんな時に、侑子さんのこの台詞は、暗い部屋に灯されたひとすじの光のような存在になりました。子どもは大人に守ってもらう、従う…という枠組みの中にいたとしても、私の意志は私のものでいいのだ、と。
作品から受け取るということ
前述のように、私は今までたくさんの漫画・アニメなどの作品に触れてきて、その台詞やシーンに大きな感動や衝撃をえて、教訓としてきました。
友達は多くはなかったけれど
「人として大切なこと」
「相手を思いやること、信じることの尊さ」
「普遍的な愛の存在」
などを創作の世界を通じて受け取ってきた。
CLAMPさん作品においては、
など、世の中を表面的に見るのではなく、その深層の存在、物事は多面的であることを諭してもらったように思います。
それは、様々な愛の形、裏切り、社会レベルの課題など…
様々な角度によって表現されていた。
表現を仕事にするということ
人生哲学とは
CLAMPさんの作品はひとつのジャンルに縛られない、独特の幅広い世界観を持つように思います。27もの作品(2024.8時点)を生み出しながら、その根幹にはCLAMP作品の普遍性があるように感じる。それを「CLAMP哲学」ともいえるのかもしれません。(展示内でも、CLAMPの哲学、というような表現があった)
では『哲学』とはなにか?
辞書的なものはここでは横に置いて、私が考える哲学とは…
このように定義します。
多くのクリエイター(漫画家、アニメーターを含む)、芸術家、音楽家、なにかしら自身主体の活動を行っている人にはそれぞれに哲学があるように感じています。
内側にある自身の人生哲学を、もう、外側に出さざるをえない。自然と出てしまう、出さないと内側に溜めておけない…それくらいの衝動を持つ人もいるのではないか、と。
この、人生哲学を、誰かに伝えたい、表現したい。
伝わってほしい、となったら。
『人生哲学を表現する仕事をする』という方法に行き着くのかもしれません。
なにを表現するか
CLAMP展をみながら『表現を仕事にする』ことについて、考えていました。
自らの人生哲学を主観的にただ伝えたいままに出して、それで世の中に認知/受容してもらえるのであれば、それは楽かもしれない。
けれど、そうはいかないのが、この複雑な世界。
『表現を仕事にする』人たちは
このあたりをどのように整理されているのか、とても気になりました。
CLAMPさんは、商業として漫画を描いている。
その中にはきっとCLAMPさんたち…
いがらし寒月さん、大川七瀬さん、猫井さん、もこなさん
それぞれ、あるいは4人に共通する人生哲学がある。
それをそのままに出しているのか、時代の求めるものに応じているのか、新たな挑戦として開拓をしているのか…
もしかしたら、これらすべてをやられているのかもしれない、とも。
こんなことを聞く機会はないかもしれないけれど、折があれば(ないだろうけれど)ご本人たちに聞いてみたいなと思いました。
CLAMP展から受け取ったこと
私は30年間いきて、扱いきれない孤独を抱える時期を経て、ほどよい孤独を楽しむ余裕が生まれてきました。
色んな人に出会い、お金を投じ、行動し、感じ、考え、悩み、泣いたり笑ったり、色々なことを乗り越えてきた中で、支えてくれた大きな存在の一つが「創作の世界」です。
CLAMPさんには改めて、そのかけがえのない思い出、その大きな存在を思い出させてもらいました。
最後に、表現と私、というところで繋がったことがあり、ここに綴らせてください。
私がこのように文章を書いているのは「書かないではいられないから」です。日頃のインプット量が多く、自分の中で深く感じたこと/感動があるとひたすらに書き込みます。(長くなりすぎる、人に読ませられるものではないと下書きのままになることもしばしば)
なので、主観的ではありますが、私も「人生哲学」が醸成されてきており、伝えたいことがある。29年間自己否定の中において、昨年に仕事で自信喪失し、今年の春頃に自身の存在を無価値に思えて生きる気力をなくしたけれど、それでも今は「なんとなく」生きれている。
生物はいつか死を迎えるし、地球もいつかは滅びるけれど
そんな不安定さの中でも、なんとなく毎日生きれる。
このことに奇跡を感じています。
今はストレングスコーチングやmindmapによる思考整理といった『対話による支援』をメインとしていますが、意外と、文章を書くことも強みなのかもしれない。
私の人生の中で使命ともいえる「伝えること」をどのような形で大成させていくか、その選択肢のひとつとして「書くこと」をより大事にしたいと思います。
いつか書籍を出す、これが一つの目標になりました。
お楽しみに。
自分の哲学を見つめたい方へ
CLAMP展は、9月23日まで。
「懐かしい!」
「当時、この連載雑誌を読んでいた」
などなど。思い出の一部にCLAMPさんがある方、ぜひ訪問いただきたいです。
(そして感想を教えてください)
ここでひとつ、お知らせをさせてください。
私の提供しているサービスの中に『好きから見つける本音のコーチング』という対話セッションがあります。
漫画、アニメ、音楽、キャラクター、著名人など『自分の好きなこと』からその奥底にある、大切にしていることを見つける時間です。
ご体験いただいた方にはこのようなご感想をいただきました。
CLAMP展に訪れた方、あるいは普段なかなか自分のことを見つめる機会が少ない、自分のことを知るのが好きという方に、ぜひおすすめさせていただきます。
2024/9/23(月)まで体験価格にてご案内しておりますので、気になる方はこの機会にどうぞお越しください。体験の詳細はこちら。
それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
"貴方の旅路に幸多からんことを。"