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愛の形を考えてみた。

こんにちは。おかゆです。
哲学者みたいに生きたい、個性研究家です。

HSS型HSPを自認しています。
春頃に世界から旅立ちそうになっていましたが、繋がりを思い出して、また地上に留まっています。地に足ついたり、浮いたりする宇宙人です。

夏目漱石や太宰治、心理学者のカール・ユングも自身の精神世界や現実世界との葛藤があったようです。なにかを表現したい人…だけでなく、人間みんなどこかしら「病んでいる」みたいな状態、あるんじゃないですかね。
それすらも、自分の一部。最近はそんな気持ち。(通常運転)

さて先日、HSS型HSPつながりで有難くご縁が繋がっているキズキさんとXのスペースで対談しました。

お話した内容はこちらの4つ↓

①影響を与えてくれた人ベスト3
②私にとっての安心
③行ってみたい場所
④私を単語で表すと?

ちなみに、気になるアーカイブはこちら📻

今回は「影響を与えてくれた人ベスト3」について、内省していきます。

影響をうけた人、の定義

内容の本筋に入る前に、表現をちょっと変えようかな。

キズキさんから「影響を与えてくれた人」という言葉でいただき。

私の中で考えていたのは「影響をうけた人」だった。

これは否定とか批判ではなく、私の解釈や感性の話なのですが。

「GIVE&TAKE」とか「ギバー」「テイカ―」「WIN-WIN」って表現が、あまり好きではありません。全く使いません。意図的に。

書籍「GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代」は要約動画をみたり、原著も読もうと思って購入したのですが…
結局読まなくて、手放してしまいました。

なぜか?

ギバーとテイカーに、縦の関係を感じたから。

私の周りの人が使っていたこのGIVE&TAKEの概念でいくと「テイカ―から離れる」「ギバーになる」そんな表現が多かったように思います。

この著者の世界観ではこのフレームが存在している。

私自身なにかのフレームワークを用いて物事を理解することが多いので、便宜上二分したり、三方向からみたり、四象限で考えたりもします。が、この「ギバー」「テイカ―」は、なんだか「与える人が偉く」「受け取る人は悪い」みたいな雰囲気を感じる。原著読んでないから、そんなことなかったらそれこそ私の偏見だけれど。

そうだなぁ。私の場合は、意識せずとも「勝手に提案する」「唐突に連絡する」などやっているので、それを「ギバー」と偉いように切り取られるのが、違和感。だから、私はこの言葉は使わない。ギバーたれ、と思わない。別に私は素晴らしい人間でもなければ、偉くもない、縦の関係は望まない。

ギバーとテイカーで上下関係が生じているのが、私は嫌なのかもしれない。

ピラミッド構造よりも、フラットか、中心から輪のように広がる…そんな関りが好きですね。あとは贈与という概念がしっくりきています。この話は、また別の機会に。

前提でめっちゃ脱線しました。

なので、私は「影響を与えてくれた」というよりも「勝手に受け取った」という意味合いで「影響をうけた人」という解釈で3人を選ばせていただきました。

(今後対談とかする機会で「GIVE&TAKE」とか「WIN-WIN」と言われたら、私は訂正すると思います。面倒臭いと思うけど、あしからず…)


三者三様の愛を感じた

私が影響をうけた人は…

No.1:落合陽一さん

No.2:藤原基央さん(BUMP OF CHICKEN)

No.3:ナルト(NARUTO)

それぞれへの想いは音声にて。

対談する中で、三者の共通点は「愛が溢れている」だなぁと思いました。

落合陽一さん

「喜びを分かち合おう!」となんだかいつもワクワクしている。
ひたすら楽しそう。私もぶっとぶぜ!世界の未知を切り開いていくぜ!という気持ちになる。そういう自分を肯定してもらえている気持ちにもなれる。

落合さんは世界を跨いで活動されており、日本の現状を非常に客観的にみていると思う。そのうえで「日本の未来は明るいと思いますよ」とさらっとおっしゃっている。鮎と鰻が好きで日本にいてくれる、日本や好奇心への愛を感じる、ありがとうございます。

藤原基央さん

藤くんは、

「キミに会いに来たんだよ」
「キミの声を聞かせてくれ」

この言葉のイメージ。BUMPの歌詞か、ライブのMCか、あるいは私が勝手に脳内変換しているかもしれない。

あとは、藤くんは生物への愛も感じる。
ヤンバルクイナとか、トリケラトプスとか、猫とか。

なので彼の愛は「森羅万象への愛」な感じがします。


ナルト

ナルトは作品の中で「仲間」「友達」「里」「国」「一族」など、様々な形での繋がりがありました。

ナルト自身も「繋がり」についてよく言及していたように思います。

昔は里の大人に疎まれ、それが子供たちにも波及して、彼はずっと孤独だった。けれどイルカ先生との出会い、第七班での活動、任務や中忍試験など様々な経験を乗り越えて・・・人の想いや痛みを知り、寄り添ってきた。

思うに、攻撃的な人は、攻撃的たる理由があるのだと思う。これは原因論的になるかもしれないけれど『攻撃したいから攻撃している』というよりも『自分も攻撃されたことがあって、そうせざるをえなくて無意識に攻撃している』など。これは心理学のお話でもあるかもしれません。

自分に厳しい人は他者にも厳しい。(もちろん、自分に厳しく他者には厳しくない人もいると思う。内側に矢印が偏ると辛いかもしれない)

かくいう私は、自分にも他者にも厳しかったと思う。たぶん、そういう環境にいた…というか、自分でそういう防衛反応をつくってきたんだと振り返っています。

話が広がりました。だから、ナルトの「なんでそんなことするんだ」「お前の話を聞きたい」という姿勢は、心が痛む一方で、救われもする。

(個人的には、ペインとのシーンが好きです)


私にとっての愛とは

私にとっての愛は、今年の4月くらいに結構かたまってきたように思います。

このあたり

これはまた、スペースの中で「今度は愛についての対談お待ちしてます」とリクエストいただきましたので、次回のキズキさんとのスペースの中で語ろうかな、と。

どうぞ、お楽しみに!
そして、今回インタビューしてくださったキズキさん。誠にありがとうございました!
柔らかな雰囲気と丁寧なファシリ、安心して過ごしていました☺️

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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