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87冊目【本のはなし】人生を楽しく過ごしたいと思うあなたへの質問です。

「明日もし死ぬとしたら、何を選択すれば後悔しない?」って、いきなりそんなこと言われても困りますよね?死ぬなんて、怖いですし…。


ところで、私が「死」というものを、意識したのは、小学生の頃です。みなさんはいつでしたか?


「死」と言うものを意識した理由。それは、父方の兄、つまり伯父が亡くなった時に感じた恐怖からでした。

伯父は癌でした。亡くなるほんの少し前、私は父とお見舞いに行きました。伯父は自宅で寝ていました。蝋人形みたいな肌質、骨の形がありありとわかる痩せ細った体、苦い薬とアンモニア臭がまざったような、異様な匂い。


その姿を指して伯父さんだ、と言われても理解ができません。だって、私の知る伯父さんは、愉快な人でした。


タバコの煙で輪っかを作って、その輪の中にまた煙を入れる技を見せてくれたり、原付バイクの前に子どもたちを立たせて走らせたり、それで伯母さんに怒られてたり、ザリガニの釣り場を教えてくれたり、会えばいつでも楽しませてくれたのです。


伯父を見舞ってから、ややもしないうちに彼は、亡くなりました。棺桶に入った姿は、最後に会った時のまま、蝋人形の肌に、痩せ細った体で、眠っているようでした。


葬儀の間、ずっと「死」について考えました。答えなんて分かりません。わからない不安から恐怖へと変わっていったのです。


死にたくない、誰も死んでほしくない。夜が来るたびに「死」のことばかり考える日々がかなりの間続きました。


「死」からは、逃れることができないということは、大人になるにつれて、納得をせざるを得ませんでした。


ただ、恐怖は和らぎました。やはり身内の死の経験です。26才になった時、母方の祖母が亡くなりました。彼女は、死ぬ間際まで一人で生活をしていました。90才になる年、年相応に元気に過ごしてました。


3月に入ったばかりのころ、祖母は入院をしました。椅子に座る時にバランスを崩し、いつもよりも座面に強く座ってしまったため、骨にヒビが入ってしまったそう。年も年だから、念の為に入院をしましょうと病院の取り計らいで入院することになりました。


余談ですが、3月16日は私の誕生日です。そして私の伯母(母の姉)とその伯母の孫(私の従姉妹の子ども)と同じ誕生日です。誕生日の主役とその母たちによる祝宴が毎年催されてました。


なので、その年の3月は、もう一人の主役とも言える、伯母の母つまり祖母が入院して不在、だから皆で病院に行き、祖母と話をしました。


「お夕飯ね、何もないのよ。どうしよう…そうそう、冷蔵庫の上に乾麺があるから、釜揚げうどんにでもして食べてね。しまこさんでも茹でられるでしょ?」と祖母は、きちんともてなせないことを詫びながらこんなことを言いました。


その当時の私は、いや今もなんですけど、料理ができませんでした。祖母はそんな私でも、出来るだろうと、簡単な料理を提案してくれました。


「おばあちゃん、大丈夫だよ。お母さんたちが何かしてくれるし…今日はお誕生日のお祝いだから。」


「…そう?でも、もしあれなら乾麺茹でて…」


なんだろう。いつも決してしつこくないのに同じことを繰り返す祖母に、違和感を感じた気がします。けれど、いつも入院をしても帰ってくる祖母ですから、あまり気にも止めませんでした。


でも、それが私と祖母との最期の会話でした。


10日あまり経ったある日、父から電話入りました。その日、私は友人と遊びに行っており、両親だけでお見舞いに行っていました。


「おそらく最期になるだろうから会っておいた方がいい。」


全身に冷や水を浴びせられたようでした。言ってる内容はわかるのに、理解ができません。急いで病院に行くと個室に横たわる、管に繋がれた祖母がいました。


ついこないだまで、大部屋で夕飯の心配をしていた祖母だったのに、なんでこんなことになってしまったんだろう。続々とやってくる親戚たち。


岩手から来た親戚が、
「なんでもっと早く知らせてくれなかったんだ!」と少し声を荒げました。


「私たちも予測してなかったのよ」と口々に言う祖母の娘たち。


祖母の周りには、祖母の娘6人とその夫、孫たち、祖母の甥っ子夫婦、総勢26人いました。管は繋がれて意識はない祖母でしたが、まだ静かに呼吸をしています。すぐにどうこうはならないだろうと、「また来るね」と伝えて家路に着くことにしました。


車で高速道路に乗ろうとした時、急変を知らせる電話が鳴りました。時間にして30分は経過していません。


祖母は、入院してから3週間のあいだに家族全員、一人一人と話をして、全員が集まったその日に、この世を去りました。その去り際の美しかったこと、圧巻でした。


生前、祖母は人生に満足していると言っていました。それでも死ぬ間際まで学ぶことはやめないのよ、とも言っていました。広告の裏にわからない言葉をメモしておいて、孫が来るたびに教わっていました。


ちなみに私は、英語担当だったそうです。


そんな祖母の生き様、死に様を間近で見ていたら、「死ぬ」怖さを考える時間よりも、満足する「生き方」について考えなければと奮い立ちました。


あれから約20年経過しましたが、ここ数年の私は、SNSだけを見て、怠惰で無駄な時間を貪っている日々。人は怠け者なんていいますが、私はそれ以上に怠け者で、流されやすい人間です。


今は、さまざまな縁で、本を読むことや書くこと、部屋の片付けやダイエットなど、やりたいことを体験させてもらってますが、いつまたダラけた生活に戻るか不安です。


この不安を払拭したい、それには思考をしようと決めた2024年、最初に選んだ本は、こちらです。


生きるのが楽しくなる 死の質問(マツダミヒロ)


質問は33個あります。
その中から、今の気分で自分にあった質問を自分に投げかけます。「明日が地球最後の日だとして、最後の晩餐は何食べる?」みたいな気軽な質問です。


気軽な質問だからこそ、今まで一生懸命小難しく、やらない選択ばかりを並べ立てていた自分や、誰かのせいにしていた自分が、浮き彫りになってしまいました。


「死ぬ」を意識していると、やれる選択にするには、どうすればよいかと必死に考えはじめました。


まだまだ私は、やらない選択を考えたり、その選択に対して人のせい(私の場合は、夫や子どもです)にするときもあるでしょう。その時は、この本に書かれている「死」の質問を投げかけてみようと思います。


「やりたいけど、時間もお金も家族もいるしな〜」と呟いた方へ。


少しだけこの本に書かれている質問を自分に投げかけてみてください。もしかしたら、本当の気持ちがひょっこり出てくるかもしれませんよ。

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シマコシマ
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