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短編小説『悲しくて美しい景色』

悲しくて悲しくて今思い起こしてもしても思わず涙が出てきてしまいます。

特に今夜のように降り積もる雪を見ると、知恩院山門の建立の総責任者でおられた五味金右衛門様のご葬儀の様子の記憶がよみがえってきます。

その時の五味様の奥方お幸(こう)の方のご様子もしっかりと目に焼き付いております。

それは重苦しい雲がのしかかる底冷えのする冬の日でした。

五味様の葬儀が行われておりました。

読経が行われるあいだ参列するものはみんな、悲しみと寒さのために体が小刻みに震えておりました。

焼香する時、お幸様のしかと目を見開き口元をぐっと引き締めて涙がこぼれ落ちるのを必死で押さえるお顔や背筋をピッと伸ばして悲しみのあまり泣き崩れるのを必死で耐え忍ばれているお姿が目に入りました。

さすがにお奉行の奥方は違うなと思いました。

しかしお幸様も、いざ出棺の時になるとさすがに耐えきれずに取り乱して泣き叫ばれたのです。

「私も連れて行ってください。私も後を追わせてください。死なせてください、死なせてください。お願いでございます。一生のお願いでございます」

どんよりとした空に向かって叫ばれたお声が今でも耳に残っていて離れません。

その時にわかに雪が降り出したのです。それも粉雪ではなく大粒の牡丹雪が降り注いできたのです。

あたり一面の景色が見る見るうちに白一色になりました。

大粒の牡丹雪はかさこそと微かな音を立てて積もってゆきます。

それは氷のように張り詰めていた空気がゆっくりと溶かされてゆくような気がしました。

鼻の奥に感じるつんとした乾いた感覚と降り注ぐ牡丹雪の真綿のような優しく柔らかい感触が生前の五味様のお人柄を思い起こしました。

五味様が牡丹雪となって降り注がれているのです。

喪服を召されているお幸の方も見る間に白色に染められてゆきました。

何と喪服が白無垢を召されているように雪に覆われてしまわれたのです。

表情も雪の優しさに包まれて穏やかになられたように見えます。

お幸の方の頬を流れる涙をやさしく拭うように牡丹雪は降り注ぎます。

お幸の方の涙に牡丹雪が優しく張り付くと真綿のような雪が涙をいっぱいに吸い込み雪が耐えきれなくなると砂金のような細かい輝きを残しながら涙と同化してゆきます。

それが何とも言えずに美しいのです。

今までにあれ程悲しくて美しい光景を見たことがありませんでした。

つづく

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大河内健志
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