雑考・日記・メモ「グスタフ・クリムトとレオナルド・クレモニーニ」
グスタフ・クリムトとレオナルド・クレモニーニ
19歳だったか20歳だったかの頃。
今は無き池袋のアート専門書店ARTVIVANTにて、一目ぼれして購入したのが、レオナルド・クレモニーニの画集でした。当時2万5000円くらいしましたが、思い切って買ったのです。
クレモニーニは今ではほとんど忘れられていて、アートシーンでで語られることはないんじゃないかと思うのだけれども、私はもっと語られてもいいと思うのです。
だから私がそのうちクレモニーニ論として語ろうかな、なんて考えてもいます。
このクレモニーニの試みは、絵画史の集大成のような気がするのです。絵画史における様々な技法・形式を一枚の絵画に詰め込もうとしているように思えるからです。
こういう絵画のstyleは、おそらく先例としてクリムトがいるのだけれども、このクリムトのstyleは唯一クレモニーニだけがかろうじて引き継いでいるようにも思えます。
ところで、クリムトもクレモニーニも同じなのだけれども、実はこの両者の試みは「絵画の終焉」を意味してもいて、絵画で為し得た歴史的な通時性を、絵画平面の中で共時的に一望するような博物館的な絵画であるように思えます。これは、絵画における探求の知性の最終局面の具現化ではないか。だとしたらこれは絵画の最終style・・・「最終絵画」と言っても良いんじゃないかと思ったりもする。
ミネルヴァの梟は黄昏に飛び、黄昏にしか飛ばないのだとしたら・・・既に絵画は絵画史としては終わっているのかもしれない。本当だろうか?本当かもしれない。後はこれを受け入れるか否か・・・が試されているだけなのかもしれない。
ピカソはその生涯で「styleを変遷させるstyle」を認めさせた最初の画家であった。しかしそれはあくまで通時的にそうであったにすぎず、ピカソは一枚の作品の中に通時性を共時的に表現する事はついぞなかった。通時性を共時的に表現する、とは時間を空間に変換する、すべてをそのまなざしの中に刹那に直観する「神の眼」である。その「神の眼」を作家個人が絵画の枠の中で反復するという事・・・・その無理を承知とした挑戦故に、私はピカソよりもクリムトやクレモニーニに知的魅力を感じて止まないのです。
2024年5月