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哲学日記・メモ

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2024年1月の記事一覧

哲学・日記・メモ「老人とこども」

哲学・日記・メモ「老人とこども」

「老人」と「こども」

「老人」は高齢者ではない。
「老人」は必ずどこかに障害を抱えている、という意味では障害者であるが、障害を必然として受け入れる事によって障害者ではない。
また「老人」は生の中のみに生きるのではなく、死と共に、そこに近しく在るという意味で「こども」である。
そして「老人」は、独りであると同時に、これまで出逢った総ての人々として多である(※)。
つまり「老人」は人であり人間てあり

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哲学・日記・メモ「手塚治虫とブラック・ジャック、ときどきカミュ」

哲学・日記・メモ「手塚治虫とブラック・ジャック、ときどきカミュ」

手塚治虫とブラック・ジャック、ときどきカミュ

しばしば手塚漫画の集大成が『火の鳥』として語られるのは残念なことだ。私は『ブラックジャック』にこそそれを認めたい。

「ふたりの黒い医者(51話)」のラストで彼がキリコに投げつける「それでも私は人を治すんだっ!自分が生きるために!」という台詞は、キリコに向けてと言うよりも、手塚治虫が晩年に埋没してしまった思想・・・全体性への同一化へこそ投げられるもの

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雑考・日記・メモ「カラオケの事」

雑考・日記・メモ「カラオケの事」

カラオケの事

カラオケとは何か?
近史としては「公的な選曲の自由の象徴としてのジュークボックス」があり(何故ジュークボックスが公的なのかと言えば、レコードと異なる「喫茶とと言う公的場」を想定しているから)、前史として、これに歌う能動性が加味された「歌声喫茶」につながり、さらに「選曲と歌う能動性」がMIXされた「カラオケ」に進化する。
ここまでが90年代。
以降はボッチカラオケや歌唱上達としてのカ

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哲学・日記・メモ「アートや哲学は教育に導入できるのか」

哲学・日記・メモ「アートや哲学は教育に導入できるのか」

アートや哲学は教育に導入できるのか

アートとは、目の前の「もの」に憑かれながらに「何ものかを成す」技術だ。絵なんて描きたくない。でも描かずにはいられない。制作なんて楽しくはないのに止める事が出来ない・・・そのように「もの」に憑かれながらも、「我を失わずに何ものかを成す技術」がアートなのだとしたら、アートとは決して楽しいものではないのだろう。

哲学も同じかもしれない。

哲学をせずにはいられない

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哲学・日記・メモ「音楽と絵画『タブローは自己批判しない』」

哲学・日記・メモ「音楽と絵画『タブローは自己批判しない』」

音楽と絵画「タブローは自己批判しない」

音楽は本質を志向する、と言うよりも本質を志向すること自体が音楽なのではないか。
それは属性をそぎ落とし原初へと遡及して、最後は音そのものも消失してしまうだろう。そこにかろうじて残るものがあるとすれば世界の始まりの「ゆらぎ」、もしくは「インフレーション」のような「はたらき」そのものである・・・とでも言えばよいのだろうか。
対して絵画は、そのような音楽の本質志

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