2)授業が面白いもツマラナイも、自分自身の行動によって変えられる
◆授業を楽しむ自分にしよう 1
昨年はオール1だったリク君。リク君は、日々ぼんやりと授業に参加しているだけです。
そんな学校生活じゃぁ楽しくないよね、、、と思って日々リク君を見ていました。
実際に、当時のリク君は表情の変化がとても乏しく、クラスの友達との交流も、全くない状態でした。昨年の担任に交流関係を聞いても、親しい友達はいなかったとのことでした。
ただ、ぼんやりと授業に参加して授業時間が過ぎるのを待つ。これほどツマラナイことはないと思います。
自分自身の子どもの頃を振り返ってみると、そりゃぁ授業はツマラナイものでした。授業はツマラナイ。それが一般的な認識でもあると思うのですが、最近は、面白いもツマラナイも、自分自身の行動によって変えられるのではないか?と考えるようになってきました。
「原因他人論」:何か問題が起きたときに、誰か他人のせいにしてしまう考え方
「原因自分論」: “問題が起こったときに、すべての原因は自分にある” という考え方
原因他人論と原因自分論については、このブログでも何度も書いていますが、授業がツマラナイと思うのは、原因他人論によるものだと最近は思っています。
原因他人論の場合、自分が嫌な事があると他人のせいにしてしまうので、その先の行動に移せません。自分は悪くないので、自身を直すことも変えて成長させる必要ないので、自分自身が動く必要がないのです。
一方の原因自分論の場合は、嫌な事があっても、その原因は自分にあると考えるので、嫌な事を解決するために、自分自身の行動を変えて変化することが必要になります。
学生時代に授業はツマラナイ、苦痛な時間だと思っていましたが、それは、教える先生が面白くない授業をするから聞きたくないんだ、という思考が根底にあったように思うのです。
人が悪い、人が悪いって思っていても、何も状況は変わりません。
ツマラナイのなら、授業を楽しめる自分に変えていく。そういうものが必要なのだろうと思うのです。実際に、学力は低くても授業を楽しんでいる子どもはたくさんいるのです。
私たち教員は、子どもが授業を聞かないと、もっと楽しい授業をしなければならない、私は授業が下手だな、と反省するものですが、子どもの心の部分を変えていく必要が、もっともっとあるのだと最近は思っています。
ということで、この続きは、また明日。
この文章は、お気楽先生のほぼ毎日私感にて過去にアップロードしたものです。noteでは、マガジンにまとめていこうと思っています。