No.367 これって、捨て台詞?
「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(捨てっちまおか)」
竹下しづの女(じょ)は、1887年(明治20年)~1951(昭和26年)に生きた俳人で、本名は静廼(シズノ)です。福岡女子師範学校(現、福岡教育大学)を卒業。小倉師範学校教諭となり、のちに福岡市立図書館司書となりました。
「短夜」(みじかよ)が季語で夏の句だそうです。
「蒸し暑さも手伝ってか、夏の明け方ごろに赤児が乳を欲しがり泣きじゃくるのでしょう。教師の仕事で疲れた母親を試すかのように、ギャン泣きする、いや、火がついたように泣く我が子に、思わず『捨てっちまおうか』と悪魔の声がささやきます。」
そんな解釈をされている評者がいました。赤ん坊だって、夏は一層不快なのです。それでも、赤ん坊のいる夏の蒸し暑さは、一入でしょう。そして、一瞬、そうは思っても、赤ん坊を抱き上げて乳を含ませるのが、昔も今も変わらぬ母親の姿なのでしょう。
それにしても「須可捨焉乎(すてっちまおか」と読ませているところが、凄すぎます。母親としての日本的なすべすべした思いを、中国のごつごつとした漢字に当てて、時にささくれだつような子育ての感情を投影させたものでしょう。惚れ惚れするような大胆な句です。漢文的に訓むなら「須可捨焉乎(すべからくすつるべきか)」となるわけですから「反語」です。それだから、
「もう捨てちゃいたいわ!」
と表では言っておきながら、裏の気持ちは、
「捨てたりなんかするもんですか、こんなに可愛い我が子を!」
という意味になるのでしょう。漢語表記に託した可笑しみや愛情が魅力のこの俳句は、日本だけでなく世界中の母親の気持ちを代弁するかのようです。
さらに、この句は、俳句を始めたばかりの彼女の作だったということから、当時の俳壇をざわつかせたそうです。1919年(大正8年)の作と言いますから、しづの女は、32歳でした。全国のお母さんたちが共鳴しただろうことは想像に難くありません。そして、「須可捨焉乎(すてっちまおか」と言葉に出しながらも、微笑みを浮かべ、子育てに奮闘したのだと思います。
「こんな私もいたんだよ!」
と、育児中のお母さん方に励ましのエールを送る句のように私には思われるのです。