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No.442 「よき」にはからえ?

明治30年代生まれの祖父の名前は「松宇」と言いました。山間の農村に生まれ、家を継ぎ、山と田畑の仕事だけを生業にしてきた祖父は、まさに、名前のように生きました。

生涯、パンツを履いたことなく、褌で押し通しました。そのために、あられもない姿の目撃者になることは避けられませんでしたが、力仕事を得意とし、背こそ低かったけれども、レスラーのように頑健で、鋼のような筋肉をしていました。夏など、昼食後に褌一丁の裸のままで風通しの良い部屋で寝ていました。側で一緒に寝ていた子どもの頃の私は、祖父の胸板の厚みが迫って来るように大きく見えたものです。

働き者の祖父は、短気なせいか早口なので、漫才師コンビ・サンドイッチマン富澤の口癖のように、
「ちょっと、何言ってるのか分からない!」
的なことが多くありました。
「よき、もっちきち、よきー、おけ!」
は、決して
「良き、もち吉(きち)、余計(に)、O.K.」(※「もち吉」は福岡県直方市に本社のある、美味しい米菓の会社)
ではありません。この大分訛りを翻訳すると、
「斧、持って来て、(俺の)横へ、置け!」
というわけです。「よき」は「手斧」(鎌の親分みたいなもの)のことです。古語が生きていた時代のお話です。じーちゃーん!

鎌倉時代前期の説話物語『宇治拾遺物語』巻3「樵夫歌事(きこりのうたのこと)」に、こんな話があります。
「今は昔、木こりの、山守(やまもり)に斧(よき)を取られて、わびし、心憂(こころう)しと思ひて、頬杖(つらづゑ)突きてをりける。山守見て、『さるべき事を申せ。取らせん』といひければ、
『悪しきだになきはわりなき世間(よのなか)によきを取られてわれいかにせん』
と詠みたりければ、山守返しせんと思ひて、『うううう』と呻(うめ)きけれど、えせざりけり。さて斧(よき)返し取らせてければ、うれしと思ひけりとぞ。人はただ歌を構へて詠むべしと見えたり。」

口語訳…「今は昔、木こりが山番に手斧を没収され、つらい、情ないと思って頬杖をついていた。山番はそれを見て、『何か気の利いた歌でも詠んでみよ、返してやるぞ』と言ったので、
『悪い物でさえ無ければ困る世の中なのに、良き物(斧)を取り上げられてしまい、自分はどうしたらよいのだろうか。』
と詠んだので、山番は歌を返そうと思って、『うううう』と呻いて返歌できなかった。そこで手斧を返してくれたので、木こりは良かったと思ったという。だから人は常々心にかけて歌が詠めるようになっていなくてはならないというわけである。」

 昔は、しず山がつの木こりのような者の中にも、雅を愛し歌を好んだ風流心ある者がいたという事でしょうか?芸は身を助けるという佳例です。鎌倉時代のこの木こりを、寄席「笑点」の大喜利に出演させ、座布団3枚を進呈したいほどダジャレの効いた掛詞の歌です。「よき(斧)」(手斧)が、その後750年近く経った昭和30~40時代になっても、まだちゃんと生きていたというお話であります。よき(良き)かな!よき(斧)かな?

でも、そんな爺ちゃんは、もういません。

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