私は何者か、296
雨。多分雨であろう。景色が滲んでいる。土が濡れている。晴れの日とは違う、独特な雨の匂いが微かにたつ。思わぬ方へ、物事が動き出す。歩き始めた幼子のような。かと言って、我は我子の歩き始めた頃のことを克明に覚えているかと問われれば、nonであろう。子育てとは、足し算かと言えば、引き算でもあろうや。増えるものもあれば、何かが確実に失われ、損なわれてゆくようでもあった。我が子よ。いや、彼らはそんなことをとやかくは言うまい。臍の緒で繋がるということは、それは、恐ろしく哺乳類的思考であろう。それだけのこと。それだけのこと。何某かの、そう、食べてゆけるだけの糧を稼ぐ、その腕を育ててゆければ、あとはなにが必要か。日々自らの味付けで、自らの暮らしを満足ゆくものにするだけである。我は、我を旅する者。時間はそのためにある。早く早くとなにを急かす。誰を急かす、この世の在り方は、自分次第。大切なのは自分を持ちつづけること。幼き頃から、どこの輪にも属さぬ者として、寡黙な我が在った。そんなふうに、考えたことはなかったにしろ、生きにくいとは、他人目線。我は我のために生きるのみ。いま、結実の時を、いや、早すぎるとして、結実は無論、我の脳内にしかないのに、共に考えてくれる人があるなど、これは、はっきり言って、シナリオの、そう、まぁ、ト書きのあたりが、虹色に光ったからなのか、どうなのか。実際、子指の爪は殊の外光る。それは、想定以上のしあわせである。欲は獏にくれてやる。夢を喰らい、眠れば夢見る獏。夢を貪る。そして、その夢をまた誰に食われるのか。夢の途中、一旦は夢を逃れ、執拗な追手となり、その生き物が築く城を、どうやって押し退けるか。他人に危害を加えずやって退けるのか。そんなの無理だろう。真面目に考える者を蔑ろにし、嗤うなどと。本当のことを言ってほしいだけである。責任を果たすとは当たり前のこと。それを殊更に付加価値をつけ、美化し、真綿のごとく緩くきつく苦しめ続ける。ひけらかすな。なにも残るまい。なにも残せるまい。我は旅をする者。
笑う者あり。
それならば教えてほしい。
私の足元をゆくこの細い流れは、何か
私は何者か。