私は何者か、209
いつまでも寒い。それはどの春にも思うこと。
朝、いつもならテレビは見ない。新聞もとっていない。私の日常にニュースというショーは不要だ。
なのに、今朝、彼の家で見た朝のニュースに、フリースをきた小さな男の子の泣く姿。リアルタイムで届けられる苦しみにわたしは凍る。何もできず、目を背けてしまいそうになる。それが、誰であっても不思議ではない。私の生み出したものにどんな苦しみがこの先、あるやも知れぬ。あるのだ。きっと。誰の生み出したものにも、もれなく、痛みは訪れるのだろう。花が咲くとか、空が泣くとか、誰も何もどうすることもできないから、うたう。
うたう。
ハレルヤ。
誰を讃えよう。
テレビのフリースの少年をわたしは忘れないし、忘れられない。
一日、仕事に励んだ。理不尽なざわめきも、忖度も、無理解も、大したことはない。
それより、自由なこころを蝕むことなど許されるはずはない。
ハンセンナドトワタシノドコニソンナマコトガアルトイウノカ。
許してほしい。
何もできない、愚かな人間たるワタシを。
ワタシナドナニモノデモナイ。
しかしながら、
葦の如くに考えよ。と。
私は何者か。
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