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夫婦ゲンカの火種|『否定しない習慣』(著者 林健太郎)を読んで


否定しない習慣
著者 林健太郎
発行所 フォレスト出版株式会社



本に出会ったきっかけ

どうも言葉がすれ違うなと感じることが増えていた、ある日。

仕事へ向かおうとする背中に、
何の気なしにぶつけた言葉が癇に障ったようだった。

バタンと閉まった扉を見つめ、自分の言動を振り返る。
「余計なこと言ったか…」

同書には、この日の夫婦ゲンカをきっかけに出会った。
一体、どんな検索ワードでたどり着いたのだろう。
今となっては、思い出すことはできない。

読後感

それにしても、Kindleの無数のハイライトをみると
自責の念を抱えながら読み進めたことが、ひしひしと伝わってくる。

正直、マニュアルようなノウハウが書かれた本との相性がとても悪い。
説教されている気がしてきて、途中で逃げること数知れず。

同書は、どちらかというと苦手なタイプではあるが
「あー痛いとこつきますよね」と苦行を越え、悟りを開くかの如く
いつの間にか読了していた。

脊髄反射

遠い昔、アパレルで販売員をしていたことがある。

そこそこ厳しい職場で、今振り返ると、摩訶不思議なルールがたくさんあった。特に、報連相には異常なほど厳しく、「わからない」とか「知らない」はNGワード。うっかり口を滑らせたものなら、当たり前のように激怒される。

母親以外で、人にあれほど怒られたことは後にも先にもない。

だから全員、聞かれたことには即反応できるよう連絡事項が書かれたノートには、穴が開くまで目を通した。そして、他の人がうっかり「わからない」と言わないよう、タイムリーに、そして事細かに連絡事項を書き記した。

他にも「ありがとう」には無意識レベルで「とんでもございません」と返すなど、それはそれは白黒はっきり&即答を求められることが多かった。

違和感を感じながらも気が付くとそれなりに適応していて、いつのまにか即答する事が「礼儀」だと信じるようになっていた。

そもそも、会話中に時折訪れる沈黙の気まづさは万人共通ではないのだろうか。沈黙にならないよう最善の注意をはらい、礼儀だと信じていたクイックな反応が夫婦ゲンカの火種になるなんて、人生は意地悪だ。

相手が言いたいことを話終わったなと思ったら、そこから、最低約2秒は沈黙を続けてください。

同書p79

こっそり、心の中で手を2回叩けば事態は変わるらしい。

そうかと頭で理解できても、正しいと認識してしまった”脊髄反射”を止めるには、それなりの意識変革を起こさなければならないのだ。

疑う目

自信も信用もないため、自分を疑うことはデフォルトだ。

ただ不思議なことに、やけに腹落ちしてしまったことについては、1ミリも疑いの目を向けていない。正しさでラッピングされてしまっていたら、なおさらだ。

正しさも、時代や環境によって変化することはわかっているはずなのに、自分で納得してしまった事実は、思い込みを加速させてしまう。

再び、アパレル時代を思い返してみる。
緊張した日々の中、即答したら怒られなかったという事実の積み重ねは、違和感を「納得」へと変身させた。事実、怒られなかったのだから、そりゃ後輩へも処世術だと教え伝えるだろう。

事実を捉える視点が歪むことは、世間に溢れていて、正しさと思い込みは背中合わせだということは、最も簡単に忘れる。

あの朝、口を滑らせた発言も
歪んだ正しさの押し付けだったのかもしれない。

手を2回叩き、自分を疑う。
神社に参拝するがごとく、心に留めておこうと思う。


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