【物語】金の卵を産むガチョウ
キャリアカウンセラーのおかちんです。
今日はどんなことに心が動きましたか?
イソップ物語「金の卵を産むガチョウ」というお話しをご存じですか?
わたしも何となく聞いたことがある程度だったので、この機会にあらためて読んでみました。
要約するとこんなお話しです。
いかがでしょうか?
つまりは「欲をかいてはならない」という戒めです。
さて、今日はこの「農夫」と「ガチョウ」の双方について考えてみます。
農夫は本当に欲深かった?
農夫はもともと「貧乏」で生活が苦しかったようです。実直に働いても、自然相手の仕事だけに安定した収入にはならなかったのかもしれません。
そんな彼のもとに金の卵を産むガチョウがどこからともなく現れます。彼にしてみれば、「これまで苦しんできたことのねぎらい」と思えたかもしれません。
ここで、彼は「働かなくてもお金が入る」という状況に甘んじてしまいます。得たお金を本業に回し、例えば畑を大きくすることや、より多くの動物を飼って育てることもできたはずです。しかしながら、お金を得たことで「大金持ちになりたい」と欲に支配されてしまうんですね。
これは彼のパーソナリティの問題なのでしょうか?
誰しもがなりえることではないでしょうか?
彼が悪いのではなく、環境が彼を変えたと言えませんか?
「金に目がくらむ」と言いますが、まさに「ものの見方」が変わってしまい、本業(本来のありたい自分)をおろそかにしてしまったわけですね。
その結果、ガチョウを殺めるところまで行ってしまいます。
毎日1つの金の卵では満足できないほど、そして殺してしまってはもう手に入らないことも判断がつかないほど、盲目的になっています。
「1つぽっちじゃ大金持ちになれるはずがない」
「もうお腹の中から取り出すしかない」
きっと彼の頭の中は「べきべき病」に侵されていたんでしょう。
わたしは、彼が元から欲深い人間だったわけではなく、急にお金を得たことで正しい判断ができなくなってしまったのだと思います。
「環境が彼を変えてしまった」=「だれでも環境によって変わってしまう」ということを伝えているように感じます。
ガチョウは何を思っていたのか?
ガチョウはなぜ農夫のもとへ来たのでしょう?
先ほども述べましたが、「農夫のがんばりをねぎらうため」の使者だったのではと思います。
(あるいは、「一攫千金」の象徴として、たまたま彼を選んだのかも?)
いずれにせよ、彼の元を離れるわけでもなく、毎日1つずつ金の卵を産み続けます。
しかし、その結果は・・・不遇過ぎますね。
心なしか、ガチョウは「まじめに働く社員」のように見えてきます。
ご主人(会社)のために、毎日金の卵を産む(仕事の成果を上げる)姿は、わたしたちと重なる部分が多く、思わず感情移入してしまいます。
最後のシーンなんて、「お前らもっと働けるはずだろう!死ぬ気で働け!」と恫喝する昭和のドラマみたいな感じが・・・
わたしは、ガチョウは「農夫の役に立ちたかった」のだと思っています。
金の卵を産むと農夫は喜び、褒めてくれたんでしょう。
それを見て、また次の日も卵を産もうとがんばっていたんでしょうね。
「ただ従順に、ご主人に尽くしたかった」
それが金の卵を産む理由だったように思います。
その後のご主人の仕打ちを考えると悲しすぎます。
「欲はエネルギー」 でも扱いが難しい
誰でも欲はあります。
「ありたい自分」を目指すことも、「自分らしくありたい」という欲です。
欲はエネルギーを生み出します。
「もっと強くなりたい」
「もっと活躍したい」
「もっと役に立ちたい」
「もっと喜ばせたい」
どれも欲ですし、エネルギー源です。
マズローは、自己実現も自己超越も”欲求”であるとしています。
ただ、欲の持つエネルギーは無尽蔵です。
時にはそのエネルギーに支配されてしまうこともあります。
それはもう欲求ではなく欲望です。
その欲望との戦いが、葛藤であり、適応機制・防衛機制であり、はたまた不安や不満を生み出します。
だから自分の心の変化に耳を傾け、欲をコントロールすることが大切です。
これを「自律」と言います。
人生のどのステージになっても、キャリアのテーマとなるのは「自立」と「自律」。いかにして生活の糧を得て、自分らしく生きていくかは、永遠のテーマです。
この扱いが難しい「欲」を上手にコントロールすることこそ、ありたい自分に近づくことなのではないでしょうか。
物語をキャリアカウンセリング目線で考えるシリーズ。
これからも続けていきます。
明日もワクワクを楽しもう@おかちん