サードプレイスとしてのnote。そして、よみがえる遺産。
noteで文章を書くようになったのは、今年の4月のことである。
3月から仕事が完全なリモートワークとなり、1日中、家で過ごす毎日。
困ったことになった。喋り相手がいない。独身で定年退職をしたら、こんな感じなのかもしれない。
自分で言うのも難だが、僕はかなりおしゃべりな奴である。ふらふらと近くにいる人と喋らずにはいられない。
人と会わずにいるとムズムズしてくる。
アル中は、断酒するときに禁断症状に陥ることがあるというが、僕はおしゃべりを封じられて、うぎゃーと発狂しそうになっている。狭い1Kの部屋をひとりウロウロと歩きはじめる始末。
ああ、誰かと喋りたい。
本を読んだり、イベントに参加したりと、もともとインプット多めな性分も作用している。これまでは、インプットしたことを人に話すことで折り合いをつけていた。
しかし、話すことをやめた途端に情報が沈殿し、やがて溢れかえってくる。
どこか、どこか、吐き出せる場所はないものか。
ふとTwitterにnoteの記事が流れてくる。エッセイのような記事だった。記事には、それはもう日常の出来事が面白おかしく書かれていた。
こんな風に自由に文章を書いてもいいんだ。そこはかとない憧れの気持ちが生じた。
まあ、自分の日常を書いたところで、こんなには読まれないだろう。それなら書きたいことを自由に書いてみようか。そんな調子で記事を投稿しはじめた。
自由になんて書けない。
自由に書く。そう意気込んで書き始めたはいいものの、文章がガチガチに固い。情報が整理されていないと落ち着かない。こんちくしょう…。
とてもじゃないけれど、自由に書けている心地はしなかった。
たとえば、4月に書いたこの記事。「頑張らないという戦略」 持続的に成果を積み上げていく方法
好意的な感想をくださる方もいてよかった。でも、ビジネス文書をすこしやわらかくして、なんとか文章にした。そういう感覚なのだ。
ああ、そうか。
思いおこせば、自分の意思で文章を書くということを生まれてこのかたしたことがない。
小学校の作文、大学のレポート、就活のES、上司への報告書…。全部書かなければならないから、書いていた。
見る人が納得するように。喜んでもらえるように。
心のどこかに大きな魚の骨でも引っかかっているのか…そう思えるくらいドスンッと、リミッター様が鎮座している。
ずっと正解を探していた。
かつて1年ほど自動車メディアの編集者をしていたことがある。数え切れないほどの記事を編集し、自ら記事を書くこともあった。
自分で企画した記事が、バズったら嬉しい。
ただ、そのときに、記事を作ることが楽しいと思ったことは一度もなかった。
「こういうのが、読みたいでしょ」と読者が欲しがりそうなものをひたすらに量産した。いわば、バズるための正解当てゲーム。
すべては数字のために。
企画者としては正しいことをしていた(と思う)。実際、そのメディアの数字はどんどん伸びていった。
しかし、自分が心の底から作りたいと思って企画した記事は1つもなかった。
自分のために書く。その結果…
noteでは、書きたいことを書こう。自分のために書こう。
はあ、なんと恐ろしい…。
そう思いながらも1本、また1本と頭に思い浮かんだことをどうにか書き連ねていった。
記事を書くのはとにかく大変である。時間と労力がそれなりにかかる。どれだけ続けられるかなあ…と戦々恐々としていた。
が、それもつかの間。これがなかなか癖になるではないか。
縛りつけるルールも何もない。少なくともここでは。正解を書かなくていい。しかも、ちょこちょこ反応をいただけたりする。
どんどん気持ちが軽くなる。
ここは自由だ…!ネバーランドに飛び立ったピーターパンのごとく。解き放たれた稚魚のごとく。続けられないどころか、もはや書かずにはいられない体に変貌を遂げていった。
約半年のリハビリ期間の末、ようやく自分の心の輪郭が柔らかくなった。コリコリに頭で考えて書いていたところから、心で書けるようになってきた。そんな気がした。
これはもはやマイ・サードプレイス
最初のうちは、本で学んだことや日常の出来事を記事にしていった。思考の整理にもなって、よかろう。
それが、いまや記事を書くことが、僕の日常の行動に影響を与え始めている。
たとえば、ほんの些細にメッセージを返信するのにも言葉選びに異様に気を使うようになった。
手紙なんて面倒くさい。LINEで十分であろうと思っていたのに、親への手紙をしたためたりしている。
人のことを気にしない。書きたいように自由に書く。そうやって記事を書いていたのに、むしろ以前よりも人の気持ちを考えられるようになっていることに気がついた。
書くことを通して、自分のこころへの解像度が上がったからかもしれない。
変化できている。しかも居心地がよくもなっている。「ああ、もうここは自分の新しい居場所かもしれない。」ふとそう思った。
家でも、職場でも、InstagramやTwitterでもない。サードプレイス。
そして…。新しすぎる遺産
昨日、突然noteに通知がきて驚いた。
ふむふむ。自分の過去一番読まれた記事を振り返ろう、という企画のバトンが回ってきたのだ。
企画内容:バトンリレー→→また思いつき企画!【よみがえる遺産】私の今まで一番読まれたnoteを読んでください
指名制で、次に記事を振り返ってほしい人を指名するらしい。
僕を指名をしてくださったのは、ビヤさんというクリエイターさん。毎日、鬼の継続力で重厚な記事を書かれている。おそらく強靭な精神力の持ち主なのだろう…。すげぇ…と思いつつ、記事を覗きに行かせてもらっている。
指名をしてくださったビヤさん、企画してくださったチェーンナーさんありがとうございます。
そんなわけで、この記事を書き始めた。そしたら1行目から脱線した。脱線に脱線を繰り返して、ようやくここに辿りついた。
まあ、自由な心で書いた結果なので許してほしい。
さて。自分の過去一番読まれた記事は…。
2週間前に書いたこの記事だった。
さすがに遺産と呼ぶには新しすぎるな…。
この記事は、note編集部でも取り上げていただき、とてもびっくり嬉しかった。
実のところ、書き終えたあとに失敗作だったかも…と思っていたら反響があった。わからないものだ。
それにしても発信をすることで、反響をいただけたり、ゆる〜い繋がりができたりして、noteのサードプレイス化まっしぐらである。
とてもありがたいことだし、これからも楽しんでいきたいなと思う次第です。
*
【追記】
tocotori(トコトリ)さんがバトンを受け取ってくださりました。お子さんとのほっこりする日常を描かれていて、こちらもほっこり。
僕にとって子育てって本当に大変なイメージばかり。自分のライフスタイルも大きく変わってしまうこともあり、どうもおよび腰に…。
でもtocotoriさんの記事を読んでいると子供欲しいかもなぁと思わせてくれます。そして、絵日記かわいい。
まだまだリレーさせたい方いれば、コメントください!この記事に追記して指名させていただきます。
文章・画像
おかしょう(Twitter/Instagram)
普段、自分が買わないようなものを買って、レビューします。