更年期に思う、「中学生の自分は、伴奏者で伴走者」
思春期と更年期は心身不安定なのが似ている…。
新しい年が明け、自分(の残念なところ)と向き合う展開があった。
まあ、そういうことは年に何度かあるが、そのきっかけが新年に来たということ。
更年期まっさかりの年齢になっても、中学時代と変わらないことを考えているので、もう決定でいいだろう。
三つ子の魂なんとやらだが、中学生の自分というのは、不可侵領域で、自分の中にいるんだけど、同時に独立国家だと。
その存在は、今の自分と一緒に人生を伴走? 人生の伴奏?をしている。
でも、よぎる。
年を取るってそんなこと??
わたしの年の取り方ってそんなものなの??
* * * * *
さて。
わたしは自意識過剰で想像力過多だ。というか妄想力過多?
今時風に言えば繊細さんとも言えなくもない。
いや、まわりにそう言ったことはないが、そうだと思っている。
下り坂期間の私の考え方の癖。
「不安」さがしをしてしまう。
他人の表情、言葉、自分の言葉、そこからいつも相手や自分の状況や、感情を考えすぎて、一人で何周も回りながら、ネガティブな物語を過剰に作る。
先回りが得意だが、それに自分も縛られ、思い込み、決めつけの穴にも落ちやすくなる。
そしてそんな自分になった原因を考え、狭い迷宮をぐるぐるして、中学生の自分を見つけるのも既定路線だ。
彼女は隣にいるので横を見なければ気が付かないが、ふと、首を動かせばいつもそこにいて、その眼は遠くを見ている。
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私という人は、声も大きいし(コールセンターに勤務していた時は仲の良い人に「姿は見えなくても、声が聞こえるからいるってわかる!」と面白がられた)、身長もあり、痩せてもいない(中学生の頃は細長い人だったが)。
思わず声をあげて笑ってしまうことも多いし(→これは、まずまず大人になってからかなあ)、人を笑わせることも、食べることも好きだ。
ネガティブな自分について考え続けてきたため、ネガティブの不毛さやポジティブの価値もわかっているので、「身近な他人」には、そこを押さえて接することも多い。
で、結果、周りにはサバサバ明るい豪快さんと思われることが多い。
今、仲の良い友達も、色々話すようになるまではそう思っていたという。
まあ、客観的に見たらそんなもんかとも思うし、そんな自分も自分であることには間違いない。
が、もちろん世の中、「見た通り」じゃないこともあるわけで。
結局、(今の)わたしの種は、中学生のわたしなのだ。
種が芽を出し、枝を出し、葉を付けて根を張っていく過程で、種のかたちなど見えなくなっても、遡れば、そこに戻る。
それくらい人生の時期としても重要なのがあの頃だったと、思うのだ。
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中学二年生の娘がいる。
今の娘が、今後の娘自身の伴走者になるのは悪くないなあと見ていて思う。
時に歯がゆくもなるけれど、自分の中学時代を思うと、少し羨ましく、同時に、ほっとするこの頃だ。
彼女は大人になってから、今の自分をどのように思い出すのだろうか。
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わたしの伴走者である中学生は、自分を守ろうとして、少々よじれていたし、そんな自分が嫌だった。
過去にも未来にもとらわれ過ぎない自分になりたいと思い続けて幾星霜。
でも、隣にいるそんな中学生と肩を並べながら、これからも時間が流れるように思う。
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