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自分・「自己肯定感」

という言葉は便利であり、そうでもなかったり


ここしばらく、新しい記事を上げる気持ちにならなかった。
途中のままの記事はあるんだけど…。

で、メルカリでマインドフルネスの本を買ったりしてた。
あと、写経、近くでやっているところないかなと検索したり。
(以前、NHKのドキュメント「72時間」で見た、五反田にある奈良の薬師寺の東京別院はいいなあと思ったのだが、ちょっと遠い。山手線を使うと心理的にも「遠く」なる…)



さて、近年、自己肯定感という言葉があちこちで使われている。

わたしが高校、大学生の頃も使われてなかったように思うのだから、平成も後半以降にメジャーになった言葉のように思う。


最初の頃は、ああ、なるほど、わたしもそれなんだなと思った。

すぐに他人と比べて気持ちが上下すること。

人の言葉や気持ちを敏感というか過剰に受け止めがちなこと。

その自覚があり、そんな自分もいやで周りと距離を置いてしまうこと。

認めて貰いたいという気持ちと認めて貰わなくてもいいという相反する気持ちを持て余すこと。

石橋を叩きすぎて渡るタイミングを逃し、しかも逃したことに安心していること。

先を読みすぎ、しかもネガティブに考えが寄ってしまうこと。

などなど。

そのまま、年齢を重ねて、なかなか手ごわい自分になってしまったなと思ったりした。

そして、なんでこんなんなのだろうかと思ったときに、やはり母親との関係に戻っていってしまう。

それがまた、自分の気持ちを複雑にさせる。

まあ、これらひっくるめて、自己肯定感が低いってやつなんだろうなとの納得になった。


つまり、わたしは自己肯定感という言葉に出会う前に、自分はどうしてこううなんだろう、何がいけないのか、どうしたら変われるのか、など、答えの出ないこと(また、答えが流動的なこと)をその時々で考えずにいられなかった。

でも、なんか、今「自己肯定感が低い」って言葉自体が、メジャーすぎて?ちょっとした違和感もある。
「メンヘラ」なんて言葉もそうなんだけど。


そこに飛びついて、そこで終わってしまう感じというか。


なんだろうか、使われ過ぎて、言葉が単なる入れ物みたいに見えてきちゃうみたいな。
取り敢えずそこに入れちゃえば、既成事実に見えて、中身を確認しなくても、パッケージで、「あれだよね」ってなる感じ?

でも、袋は有名お菓子店だけど、実際は、実家からのおすそ分けだよ~みたいなこともあるわけで。


言葉って広がれば広がるほど、意味が曖昧になりやすく、まあ、言葉(の意味)自体が流動的なのだろうけど。


自己肯定感に変わるような言葉が、また出てくるかもしれないなと思う。



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