100均で、声を掛けられた娘。からのスギ様こと杉良太郎や昭和のスーパーの話など。
小さいからこそできたり、小さいからこそ流してしまうこと。
少し前の話だが、娘と100均に行った。
それぞれ見たいものを見ていたが、先にレジを終えたのは私だった。
その後、娘がレジに並んでいるのを少し離れたところからなんとなく見ていたら、レジの女性(わたしと同世代かな)が、娘に「ペン」がどうのと話しかけているのが聞こえた。
購入したものにまつわる話なのかなと思いつつ、長いやり取りでもなかったので特に気にしていなかった。
それから自宅までの40分を散歩がてら歩いている最中に、娘の方からその話題が出て、いきさつを知った。
娘が100均一でイラスト用のペンを選んでいたら、近くにいたおばあさんに声を掛けられたという。
おばあさんはそれが何という名前なのかわからず、娘に、「若い子が試験勉強などに使うペンはどれか」と聞いてきたとのこと。
娘も初めはなんのことか分からなかったようだが、やりとりして、ラインマーカーのことのようだとわかり、これですと教えてあげたらしい。
で、そのやり取りの様子をくだんのレジの女性が見ていたようで、レジの際、娘に、おばあさんに案内をしてくれたお礼言い、おばあさんがペンを購入していったことを教えてくれたとのことだった。
それを話す娘はもちろん嬉しそうで、それを聞いた私は娘以上に気持ちが上がった。
娘の行為に気が付いて、おっ!と思ったとしても、その後しばらくして、レジにきた娘に改めて声をかける人は少数だと思う。
(これが昭和だったから結構ありそうだが)
たぶん二人のやり取りを微笑ましく見ていてくれたのだろう。
そして、店員的役割をしてくれた中学生の娘への感謝も兼ねて声を掛けてくれたのだろうと思う。
年齢的に娘と同世代のお子さんがいるとしたら、「イイネ!」を押す気分で声を掛けたくなる気持ちもわかる!
そして、その素敵な女性が娘と交わした何秒かのやり取りの結果が、このnoteだ。
わたしからその女性に送る「スキ♥」である。
たこ焼きの話でも書いたが、行為の大小で価値の大小は決まらない。
娘のした親切はちょっとしたことで、レジの女性がしたことも、ちょっとしたことだ。
でもこういう赤の他人同士の小さなことが、気持ちをぱっと明るくしたり軽くしたりすること、ないですか?
* * * *
ちょっと話がずれるが、思い浮かんだので書く。
有名人の寄付について売名行為だなどと批判的に言われることがある。
寄付が嘘なら問題だが、自分のお金を何に使おうが自由だし、その寄付で苦境にある人が助けられる。
ケチのつけどころは、ない。
そもそも、マスコミや一部の人が自分たちの利益(ビューとか売上とか)になる人をいいように記事にすることで、寄付→売名のラインが出来るのであって、無名の人が一億寄付してそれを自分のSNSで言っても「売名」にはならない。
売名が批判されるには、売名が寄付した人自身の実益に繋がる前提が必要だが、それだって自分でコントロールできるわけじゃなくて結果なわけだし。
結局、マスコミやネットライター?が扱ってこその「売名」という矛盾から見えるのは、ライターやマスコミこそ、他人の善行に乗っかって自分の利益得てることなわけで…。
(褒めるより、油注いで燃やす方狙いだし)
社会奉仕で有名な杉様こと杉良太郎が以前、「寄付で売名行為上等。なんと言ってくれても結構」みたいに言ったのを知って、カッコエエ~と思ったものだ。
そもそも「(寄付が)売名行為と言われていますが…」とか聞くマスコミが終わってるんだが。
まあ、今はそこまでのことはないようにも思うけど、言ったもん勝ちネット社会の情報は、何が優先されるべきかを簡単に隠すのが怖い。
* * * *
話はがーっと戻るが、誰かの善行に対しては、小さいことでも褒めるがヨシ、と思う。
それこそ、「スキ」ボタンを押したいところで、さくっと声を掛けられたら理想だ。
今回の娘で言えば、何かをした相手ではなく、それを自分の気付かないところで見ていた他人が声を掛けてくれたのは大きなポイントだ。
そのように声を掛けてもらえれば、多くの人がそれを「今日の良いこと」リスト入りさせるだろう。
そして、自分が声を掛ける側になった際のハードルも低くなるはずだ。
そういうの循環すればいいなと思う。
情けは人の為ならず である。
もう一つ今回の出来事で思ったことがある。
今は当たり前となったセルフレジがその店にも導入されていて、わたし自身の買い物はセルフレジで済ませていた。
その後に娘もレジにやってきたので、つい「セルフ空いてるよ」と離れたところから声掛けをした
が、娘はお小遣いから支払う関係上現金支払い。
だから現金払い不可のセルフレジでなく人のいるレジに並んだ経緯があった。
これがセルフレジであったら、当然レジの女性からのアクションもなかった。
たかがレジなんだけど、あったはずの小さな交流がセルフレジではなくなるのだと思わされた出来事でもあった。
そういえばバーコードが広がる前、レジの人が商品についた値札シールを一つ一つ見て、数字を手打ちしていた時代があった。
スーパーにおける、左手で商品をかごに移し替えながら値段を見て、右手で数字キーは見ずに(場所を感覚で覚えているので)高速手打ちをして大量の商品をさばいていく軽快な同時進行技は見ていて愉快だった。
金銭のやり取りも毎回手作業で、小銭のお釣りをレジから出すのがめちゃ速い人とか銀行員並みに札を数えるのが上手な人もいた。
それら一連の早さ、と同時の丁寧さを競うスーパーのレジコンテストみたいのもあったなあ。
(接客あるし現金扱うしで、当時「レジ」はマルチな能力必要としてた感)
あれをもう一度見たいものだ。
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