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相手の話を思い込みで聞いていないだろうか
「『だれがそういったんだい。』をきかないと、ピコットばあさんと話したって気がしなくなってしまったわ。」
上杉リナ
霧のむこうのふしぎな町(新装版) p.153
著者 柏葉幸子
出版 講談社 2021年12月
私は図書館に行き始めると、本を返すときにまた次の本を借りてくるので、色々な本を読むようになります。
前回のnoteで『自分の「本当は好き」なことはなんだろう』という問を立てたので、自分の「好き」を探ろうと思い、図書館で自分の子供のころ好きだった本はなにかないか探してみました。
児童書のコーナーを見ていると、青い表紙の文庫が目につきました。
子供のころ、このような感じの本を何冊か読んだ気がする。好きだった本があった気がする。そう思って何冊かパラパラと読んでみると「これが好きだったような気がする・・・」という本を見つけました。
『霧のむこうのふしぎな町』という本です。
とあるきっかけで夏休みの間、ふしぎな町の『ピコット屋敷』に下宿することになったリナ。その町に住む人や屋敷に下宿する人との交流やふしぎな出来事を描くファンタジー小説です。
リナの下宿先であるピコット屋敷に住むピコットばあさんは、リナがなにか言うと、『だれがそういったんだい。』と、言ってきます。
例えば次のように
「上杉リナです。おせわになります。」
『だれがあんたのせわなんかするっていったね。』
「だって、おとうさんが……。」
『なんていったんだい。』
「それじゃ、帰ります。」
『だれが帰れっていったね。』
「だって、いまあなたが……。」
『なんていったんだい。』
p.30-33(抜粋)
ピコットばあさんはリナに、ここは下宿屋だから自分の食い扶持は自分で稼げと、親からもらったおこづかいでなく、自分で働いて稼げと。そう言います。
また別の場面では、こんなやりとりもあります。
『リナ。ナータの店は、あしたで終わりだよ。』
「もういかなくていいんですか。」
『そうだよ。』
「でも、はたらきなさいっておっしゃったでしょう。」
『だれが、もうはたらかなくていいっていったね。』
「だって、いま……。」
『なんていったんだい。』
『はたらくところはたくさんあるんだよ。』
p.102-103(抜粋)
たしかに、『だれがそういったんだい。』と言うように、ピコットばあさんは、そんなことは言っていません。
でも、文脈からそう言われているように感じるリナの気持ちもわかります。
ピコットばあさんにそう言われて、最初のうちは泣いていたリナですが、物語が進むに連れ、冒頭の台詞を下宿先の友達と笑いながら話せるようになるほどの成長を見せます。
物語の本筋からはずれてしまいますが、この部分を読んでいて、私達は会話の中で自然と文脈や空気を読んで、「相手が言葉にしていない気持ちや意図」まで解釈していることが多いと感じました。
相手の言いたいことや気持ちを察することは必要ですし、コミュニケーションにおいて重要なことだと思います。
しかし、それが過ぎて相手の言いたいことや気持ちを、先回りして「理解したつもり」や「思い込んで」聞いてしまうのは危険だな、とも思いました。
全ての会話で、全てを確認することはできませんが、相手の話をしっかりと聞く場面や、相手のことをちゃんと理解したい場面などでは、言葉だけではなく、気持ちや意図もしっかりと聞く必要があると、あらためて思いました。
相手の話を思い込みで聞いていないだろうか
察することを強いられて自分の気持ちが後回しになってしまった方
相手のことを思っているはずなのになぜかコミュニケーションがうまく行かない方
そんな方に寄り添える人でありたいです
霧のむこうのふしぎな町(新装版)
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