「書くことが好き」は本当か?
「もともと文章書くの好きなんで」
なぜブログやらnoteやらを書くのか?と問われた時はそう答えてきた。いまフルタイムで就いている仕事の面接の際にもそう答えた。確かに、直感的には好きだ。「文章を書く」ということに限らず、私たちは”好き”について疑うことをあまりしない。”私たち”って勝手に巻き込んでごめん。でもそうじゃない?
自分の場合は「好きだ!」と思って取り組んでいたのに、途中で「好きじゃないかも?」となることがまあまあある。移り気マンなのか?と問われればそれはイエスなのだが、それは半分正解で半分は「そこじゃない!」である。要するに、「移り気だから”好き”がブレる」ってわけではない。
「書くこと」を仕事にしてみたけれど
冒頭でサラッと触れたが、いまは大分類で言うところのライターとして働いている。時系列で経緯をご説明すると、2社目から3社目に転職するときにミスマッチが発生してしまって、「これは一旦立ち止まってゆっくり考える時間が必要だ!」となった。それで勢いよく鬼の短期離職を決め込んだは良いが、お次は「やばいお金がない」となった。夏目漱石もびっくりの無鉄砲さである。”親譲りの無鉄砲”のアイツ、もしかして遠い親戚なのではないか?よく考えたらうちの父親のルーツ愛媛だし可能性はある。(漱石の言葉を借りるなら「可能性はあるが蓋然性はない」といったところか)
さて残念ながら親からの経済的援助は期待できなかったので、急いでつなぎの仕事を探す必要があった。そしてその仕事は以下の掛け合わせであることが望ましかった。
そんな都合いい会社あるわけ...と思いきや一瞬で見つかり、応募。無事採用されて現在に至る。職務内容は、「高齢者向け施設をわかりやすく紹介する文章を書く」こと。
いざ働いてみて、自分で言うのもアレだけど「ああやっぱり文章書けるわオレ」と思った。介護福祉への熱い想いとかは特にないし、興味関心も...だけど、没頭できるし、何よりそんなに苦戦することがない。しかし、大方の仕事がそうであるように決して楽しくはない。数字と睨めっこしながらレポートを作成するとか、営業電話をかけまくるとかに比べると遥かに楽なのだが、それでも楽しくはない。
「アハ♡楽しい♡」の所在
ここでようやくタイトルの問いが生じる。おかしいぞ。他のあらゆる仕事と比べたら恐らく得意で、かつ楽しくできると感じていた”文章を書く”という行為が、楽しくない。別に一文字打つごとに「アハ♡楽しい♡」となりたかったかといえばそんなことはない。だけど、”楽しくない度”が営業と同じなのはなんかおかしい。
それで、自分は”文章を書く”のどんなところが好きだと感じていたのかを考えてみることにした。まず、「楽しい!」と感じたのはどんな場面だったか。
【遊び、仕事の息抜きなど、自分の内面を曝け出しても構わない場面】
もうこの時点で「内面を曝け出す/価値観の共有が好きなだけやん」と気づくのだが、もうちょっと続けてみる。お次は、どんな方法が楽しいと感じるのか。
【文法、文章の正しさよりもリズムを重視】
つまりまとめるとこんな感じになる。
”私は自分の価値観やアイディア、興味関心のある事柄を広めるのが好きである。その伝達方法として文章を用いるときは、なるべく伝わりやすいように表現を工夫するだけの技術は持っている”
仰々しい。
「好き」は素敵!明確になるともっと素敵!
今回の考察はあくまで「オレって本当に文章書くのが好きなの?」という範囲に限定したもので、そこから「仕事を楽しくするには?」とか「そもそも楽しいを仕事にすべきか?」みたいな話をするつもりはないんだけど、少なくとも仕事にするなら↑の内容に即したものの方が楽しめそう。サウナとか新しく登場したサービスの紹介とか。現職みたいに”スキルとして文章をいかす”みたいなことをやるとしたら、その取り組み方に裁量を持たせる(例えばディレクションから携わる)とかすると良さそう。「アハ♡楽しい♡」となるかもしれない。
みなさんはどうですか?楽しいと思って取り組んでいることに「アハ♡楽しい♡」と感じていますか?もし思えてなかったとしたら、それは自分の「好き」を曖昧にしているからかもしれません。一度立ち止まってじっくり考えて、一緒に「アハ♡楽しい♡」しましょう!
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