夜の川は絶望するのに丁度いい
夜に川へ行く。理由はない。その日、気分が向いたからだ。いつ気が向くかはわからない。次は明日かもしれないし、3年後かもしれない。基本部屋から出たくないのに、わざわざ川まで出向くなんて輪をかけて面倒くさい。目的もないし、もちろん得られるものもなにぶん無い。
それでも、自然と足が川へと向かう時がある。時間帯は、決まって夜。アメスピとZIPPOだけ持っていく。他はいらない。アメスピは長いからさ。酒が飲みたい時はローソンでハイボールだけを買う。ロング缶。どうせちょっと残すのに、人間は欲張りだ。
なぜ川へ足が向かうのか?理由はないと先程は言ったが、検討してみる。だいだい、直感的行動には厳密な理由がある。本人が気づかないものほど、強く激しい要因が。
思うに、今の都会にはあまりに絶望できる場所が少ない。スターバックスはもちろん、マクドナルドやサイゼリヤでも絶望できない。個人経営の喫茶店は、夜中は空いていないから駄目だ。人間は、それぞれのタイミングで絶望する必要があるのだ。絶望できる場所を求めている。希望を持って生きる裏で、絶望できる掃き溜めを探している。光があれば必ず影があるように。
他にも、美しいバラには棘がある。いつも明るいクラスの人気者は人一倍貧乏家庭で兄弟6人を養っていることは映画でよくある。悪の権化バイキンマンは、ドキンちゃんに対して優しすぎる。アイドルも、うんこをする。
やはり、幸福に、きらびやかに、あたたかさを持って生きるのであれば、それと同じくらい、裏にある影を見つめる時間が必要なようだ。夜の川は絶望するのに丁度いい。何もかも嫌になったら、川へ赴こう。水の流れに沿って、鬱憤やストレスという言葉では言い表わし難い「絶望の塊」が、ゆっくり溶けて流れていくような気がする。大阪の、名前も知らない海へと絶望が流れていく様子は見飽きない。ずっと見ていられる。実感が伴わないのであれば、ハイボール ロング缶の残りを一緒に流せばいい。
うん、川は絶望するのに、丁度いい。