忙殺されそうなときの処方箋
「あ~頭からっぽにしたい~」という衝動にかられることがある。
仕事も子育ても家事も全力投球。起きている間、無意識であらゆることに手と頭を動かし続けている。ぼーっとしよう!と決めない限り、できない性分だ。
健康のためにランニングをしたり、友達と話したり、お酒を飲むこともあるがなんかもっとこう、『スッキリ!空っぽ!』という体験を欲していた。
そんな事を友人に話したら、映画の「神様のカルテ」を勧められた。検索してみると、見覚えがあった。主人公の医者役の櫻井翔の髪型がなんか変だなと気になって、内容まで見ていなかった作品だった。(今見るとそこまで変じゃない)
友人の意見を素直にきいて、土曜日の16時、夕食の支度を終えて鑑賞。
まさかの号泣。優しくなれるいい作品だった。仕事や家のことであーしなきゃこうしたいとあらゆる情報がごちゃまぜで大渋滞を起こしていた脳内が、リセットされた感覚になった。脳内にあった情報をいったん浄化して、シンプルに自分の大切にしていることに向き合える状態になった。
「神様のカルテ」では、情熱も技術もある医師という設定の櫻井翔が、治療法がなく余命だけを告げられて絶望と孤独に陥ったがん患者に最後まで寄り添いつづける、といった話だった。できる範囲の医療行為を続けながらも、医療だけでは提供できない、『ケア』でがん患者の心を救い、孤独から開放していた。
それは、私が作業療法士になったまさに原点だった。
私が18才の頃、祖父が交通事故で大腿骨骨折し、手術をし順調に回復していたと思っていたのにも関わらず「生きてる意味ない」と吐いたときに、私はショックを受けた。今までの生活と状況が変化することによって祖父は孤独を感じていた。
祖父の生きてきた人生は価値のあるものだった、生きてる意味はあると思って欲しくて、その日から祖父の家に通い、祖父の話をしてもらうように話しかけ続けた。戦時中を生き抜いた話、戦後沖縄に戻ってきて美人の奥さんと再婚したこと、夫婦で必死で働いて立派な家を築いてきたこと…。
これは回想法と呼ばれる心理療法のひとつ。当時の私は心理療法とは知らずにやっていたが、徐々に表情がかわり、寝てばかりだったのがソファーで座って過ごすようになったり、パジャマから私服に着替えて過ごすようになりと行動が代わる祖父をみて嬉しかった。人が心から元気になる、そんな仕事がしたいと思い、作業療法士の道を選択した。
変わりゆく社会の中でも、人と人のコミュニケーションは人の心を癒やし、人生で最も苦しい病気と言われている『孤独』を救う力があると私は信じている。
「生きててよかった」と思える人を増やすため事業をつくっていること、孤独を感じてほしくなくて日々子どもたちに愛を注ぐこと。私が今、生きてる目的はシンプルだと思えたことで、結果的に頭を空っぽにすることに成功した。
友人の薦めを素直に実行してよかった。
また頭の中がいっぱいになり、忙殺されそうになったら、「今自分にとって大切にしていることは?」と自分に問いかけてみようと思う。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?