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「旅は特別なもの」という価値観が変わった日の話。

来月、友達と旅行に行く。
行き先は、昨年同じ友達と行った宮古島。

あまりに良かったので「また来年も来ようよ!」とめっちゃ盛り上がったのだけど、夏が終わろうとしても全然先方から連絡がない。
あれは社交辞令だったか…と思いながら、遠慮がちに「宮古島、今年はどうする?私、9月の最終週なら空いてるんだけど…」というLINEを送った。

すると「私もその週なら空いてるよ。何日がいい?」と聞かれ、あれ?行きたいのか?大丈夫?え?と思いながら、サクッと日程が決まり「じゃあとりあえず航空券だけ抑えちゃうね」と言われ、宮古島行きが決まった。

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彼女はとても旅行好きで、私とは年に1度程度だけど、旦那さんやお母さんや妹さん、他の友達ともよく旅行に行っている。

特に、この春から諸事情により失業期間中ということもあり、北海道に10日間とか、九州に1週間とか、東北とか長野の温泉めぐったりとか、旅三昧の暮らしをしていて「今月、ほとんど家にいなかったわ」と笑っていた。

そんな彼女にしてみれば、宮古島に4〜5日なんて「はいはい、とりあえず飛行機取っとくね」てな感じなのだろうなあ、と思ったのだ。


私の中で「旅」というのは、誰と行くか、どこへ行くか、どこに泊まるか、いくらかかるか…などなど、しっかり考えて「いざ!!!」で行くもの。

つまり「特別なもの」だ。

「ここ行きたい!」と思いついても、誰と行こうかな、一人で行こうかな、いやでもせっかくなら誰かと行きたいな、でも誘っていいかな、いつがいいかな、ここ泊まってみたいな、いや高いなあ、行ってみたいなあ…みたいにぐるぐる考えて、ひとりで終了することも結構多い。

意味もなくホテルのサイトを見てお気に入りを増やしたり、インスタで素敵な場所の写真を見つけてスクショしたり、GoogleMapには「行ってみたい」旗がたくさん立っている。

でも「旅は特別」だから。
いつか行きたいけど、ちゃんと計画しなきゃだし、年に何回も行くなんて贅沢だし…そんな風に思ってた。

だけど、彼女の受け答えを見ていたら、旅って別に「特別じゃないのかもしれない」と思えてきたのだ。


「行きたいな。よし行こう」そう思ったら、飛行機とホテルの予約しちゃえばいいし、「ねえ、この日空いてる?」誰かにそう聞くのだって、そんなに難しいことじゃない。

何て言うか、たとえば「今度、ご飯食べに行こうよ」「いいよ。いつにする?」と変わらないのかもしれない。

そう思ったら、旅のハードルを上げていたのは自分で、もっと気軽にあちこち行ってもいいんじゃないか。そう思えた。


よし。もっと旅に出よう。
知らない景色をたくさん見に行こう。
いつだって、どこにだって行けるんだから。

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オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン
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