芭蕉が絶賛した「猫の恋」
【スキ御礼】歳時記を旅する35〔猫の恋〕前*恋猫や文字蛍光の置時計
松尾芭蕉に絶賛された越智越人の句は、
うらやましおもひ切時猫の恋
その意味は、
「あんなにも執拗に続いていた猫の妻恋がぴたりと止んだ。その思い切りのよさがわが身につまされてうらやましい。」
この越人の句の原案は
思ひ切る時うらやまし猫の恋
だったが、芭蕉が『猿蓑』に載せるときに改作した。芭蕉は原案の句に何が問題があって改作したのだろうか。
吉田美和子さんの著書『うらやまし猫の恋 越人と芭蕉』に、そのヒントがあった。
吉田さんは、初め句の意味を、
「いま、恋を思い切ろうとして苦しんでいる。自分もあの猫たちのようにひたすらに恋に狂うことができたら、どんなにかよかったのに・・・・・・」
と思っていたという。
「思い切る」のは作者だと解釈していた。
それが、原案の句を見たら納得したのだという。
つまり、「思い切る」の主語が猫なのか作者なのかで解釈が全く別にわかれてしまうのが問題だったのだと思う。
俳句では句の中に主語がない場合は、動詞の主語は作者であるとの推定が働く。
原句の場合、
(作者が)思ひ切る時(に)うらやまし/猫の恋(は)
と、作者が思い捨てようとしていると読まれてしまう可能性がある。(/は「切れ」)
改作では、それを避けるために、
うらやまし/おもひ切時(よ)猫の恋(の)
として、「切時」のあとに再び小さな「切れ」が生じてしまうぎこちなさがあるものの、猫が思い捨てようとしているとき、と読めるようにしたのではないだろうか。
このように理解したのですが、芭蕉先生、いかがでしょうか。
☆「猫の恋」について 獣医師のつぶやき さんのお話がありました。芭蕉先生の「猫の恋」の句の紹介もあります。
(岡田 耕)
*参考文献
『新日本古典文学大系70 芭蕉七部集』岩波書店 1990年
吉田美和子『うらやまし猫の恋 越人と芭蕉』木犀社2008年
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?