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道元禅師が書いた「立春大吉」
【スキ御礼】立春大吉
「立春大吉」とはどういう意味があるのだろうか。
曹洞宗では、立春の日に、祈祷読経して、「立春大吉」と書いて三宝印を押したお札を山門などに貼るとともに、檀家に配布する風習がある。
曹洞宗の開祖である道元禅師が直筆で書いたとされる「立春大吉文」の原文と現代語訳を見てみよう。
立春大吉文
南謨佛法僧寶大吉。立春大吉、一家祖師祖宗大吉。佛法弘通大吉大吉、祖道光揚大吉、寺門繁昌大吉。門子多集得人逢時、天下歸崇吾道。大吉大吉。
大吉立春大吉(華押)
大吉開山。永平 大吉 道玄
寬元五丁未立春。大吉大吉。
高橋文二 角田泰隆 石井清純
『原文対照現代語訳・道元禅師全集⑰ 法語・歌頌』
春秋社 2010年
仏法僧の三法に帰命するのは大吉である。
立春は大吉、わが家門(禅宗)の祖師がたも、その教えも大吉であり、仏法が広まるのは極めて大吉で仏祖の歩んだ道が輝き発展することも大吉、この永平寺の門流が繁栄することも大吉である。
門弟が多く集まって、多くの〔志を同じくする〕人々と出会うことが出来たとき、天下の人々が私の教えに帰依し、それを尊ぶ。
なんと大吉であることか。
大吉の立春は大吉である。
大吉なる永平寺の開山 大吉 道元
寛元五年(一二四七)丁未の立春、大吉大吉。
これは宝治元(寛元5)年(1247)立春、48歳の道元が、永平寺で書いたことになっている。
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しかし、文献によるとこの年には立春はなかったことから、道元禅師の真筆ではなく、後世の贋作であるとされている。
立春のない年、というのはどういうことか。
現在の太陽暦では、立春はほぼ2月4日にあたるが、旧暦では年によって新年の1月1日は二十四節気とのずれが生じる。
年によっては1月1日より前に立春がくることがあり、年内立春とも言われる。
今年(2024年)もそうで、2月10日が旧暦の元日になる。
その新年には立春がないことになり、宝治元年(1247)もそうだったということなのだろう。
ではなぜ、立春大吉の著述の日が宝治元(寛元5)年でなければならなかったのだろうか。
(つづく)
(岡田 耕)
*参考文献
『禅学大辞典』大修館書店 1978年
『道元辞典』東京堂出版 1977年
東隆眞『道元小事典』1982年
石龍木童訳註『現代語訳 建撕記図会』国書刊行会 2000年
*画像出典:国立国会図書館ウェブサイト
https://dl.ndl.go.jp/pid/1108190/1/61
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