どうして茅の輪をくぐるのか(その2)
夏の祓は平安時代には行われていた。
『拾遺和歌集』に「水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶといふなり」という歌があり、平安時代中期には宮中で行われていたようである。
菅貫という草の輪は、夏の祓の道具として用いられていた。
平安時代の年中行事を描いた『年中行事絵巻』の「六月祓」にも、その菅貫の場面が描かれている。
手前左の池に面して案(机)が置かれ、その上には幣串(白木の棒に紙を挟んだ串で、祓に用いる)が立てられている。案の前には円座(丸い形の敷物)が置かれ、祓をする座になっている。
右側の遣水(画像外)に向かっているのは陰陽師とのこと。
奥の神殿の中には、女性が四人いて、幼児を抱いている母親らしき女性に輪のようなものが掛けられている。
輪の大きさは絵からみて直径四~五尺くらい、今でいうフラフープくらいの大きさである。
この輪のようなものが茅の輪で、くぐらせているのは乳母だろうとのこと。あとの二人は侍女らしい。
六月祓で母子の健康を祈っているようなのである。
茅の輪は「菅貫」ともいい、この絵のように頭上から足もとに下してくぐることを三回繰り返したという。
この資料で分かるのは次の点になる。
1)平安時代には夏の祓の神事に茅の輪(菅貫)が使われていた。
2)茅の輪の大きさは直径四~五尺くらいで、頭からくぐらせている。
3)茅の輪をくぐらせる神事は、陰陽師が宮中で公家に行っていた。
4)菅貫の神事は、屋外で池の前で道具を設え行われていた。
次は、現在も行われている菅貫神事をみてみることにする。
(つづく)
【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1)