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マーラーの《復活》と「夏来る」

【スキ御礼】歳時記を旅する38〔五月〕後*終曲フィナーレの銅鑼の炸裂夏来る

上記の記事で主宰の磯村光生の句「終曲フィナーレの銅鑼の炸裂夏来る」を取り上げた。

文の最後には、いつものように、簡単な鑑賞を添えるのだが、今回の句は何か特定の曲をモチーフにしていると思われた。
何という曲なのか作者に直接確認することもできたが、それでは鑑賞にならない。
なので、あえて自分で「フィナーレで銅鑼が炸裂する曲」でしかも「夏来る」を感じさせる曲を探してみた。
 それで辿り着いたのがマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」だった。

第5楽章(終曲)「復活」は、一発の銅鑼(タムタム)の音から始まる。
タイトルの「復活」の名は、ドイツの詩人クロプシュトクの詩を引用していることによる。
挿入されている歌詞のうち、最初の合唱の部分がクロプシュトクのもので、残りの三分の二はマーラー自身によるものだという。

そのクロプシュトクの詩の部分である。

よみがえらん、まことななんじはよみがえられん、
なんじわが塵よ、みじかき眠りののちに。
不滅のいのちをば、なんじを呼びたまいし者、
なんじに与えん。

ふたたび花咲くために、なんじは播かれたり!
刈り入れの主はあつめあるく、麦の束を、
死せるわれらを。

(訳:酒田健一)

マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」 
東京フィルハーモニー交響楽団/尾高忠(指揮)ライナーノートより

マーラーは、1894年(34歳)3月、大指揮者ハンス・フォン・ビューローの追悼式に出席したとき、少年合唱団の歌ったクロプシュトクの詩による合唱曲《よみがえるのだ、しばし眠りの後、再びよみがえるのだ、わたしの下僕よ》を聴いて、この交響曲第2番の構想を得たのだという。

この曲を貫くキリスト教の復活思想の根源は、マーラーの幼少期からあったのだと思う。

マーラーは、現チェコのボヘミア帝国でユダヤ人の父ベルンハルトの子として生まれた(1860年)。
父のベルンハルトは、ユダヤ人でありながら、ユダヤ教よりもカトリックの礼拝に興味があったそうで、子供達にもドイツ風の教育をしていたという。
その父の影響で、マーラーも幼いころからドイツ語を話し、6歳の頃には、キリスト教会の少年合唱団の指揮者から、本格的な音楽教育を受けていたという。

クロプシュトクの詩も、キリストの復活を歌う。
マーラーの引用では省かれているが、原詩の各二連の最後には、それぞれハレルヤ!(Halleluja!)がある。

キリスト教でいう復活祭は、毎年3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日(西方教会)。
夏至祭に結び付けられた聖ヨハネの誕生日は、6月24日。
復活祭と聖ヨハネの誕生日までの間は、日が長くなり夏の頂点に向かう季節。
引用されたクロプシュトクの詩でいう、麦の束を刈り集める季節もこの時期である。
俳句でいう「麦の秋」である。

句の中で「復活」という言葉が、「夏来る」という季語と、どことなく結びつく気がしたのは、このあたりにあったからだった。

(岡田 耕)

☆クロプシュトックの原詩「復活」について、ynis/西原康智/合唱と編集者 さんが詳しく説明されています。ご紹介します。

*参考文献(引用のほか)
『マーラー事典』立風書房 1989年
アルフォンス・ジルバーマン『グスタフ・マーラー事典』岩波書店 1993年

ありがとうございました。



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