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わたしたちの人生は宇宙の塵(ちり)

生きづらい世の中で、病名が増えるのは良いことだと思う。

ひとむかし前まで「変わった子だな」で済まされていたそれは、
ネットの発達により広く知れ渡り、人々の日常会話の中でもごく自然に使われるようになった。

「俺、アスペだから」
「わたしADHD」
「わたしは学習障害」
「僕は適応障害」

発言している人の多くが事実ではないだろうと思いながらも実際は分からない。
いくら冗談めかして言おうが、他人に見せていない姿があるかもしれないのだから。
それでも、本人たちがみずからそのようなことを発信できるようになるぐらい、社会での「多様性」に対する理解が深まったのだとしたら、純粋に嬉しい。


中学時代の同級生に、なぜこんなに一生懸命なのに何をやってもできないんだろうという男子がいた。テストは常に野比のび太。スポーツはもってのほかで、滑舌も悪く、発言が聞き取れない。落ち着きもない。いつも同じクラスの男子にいじられて笑っていたが、時折見せる悲しげな表情がいまだに頭から離れない。

ニックネームは「ガス」。陽キャの男子たちは気が向くと彼のそばへ来て、時には喋り方や動きの真似をし、時には家族をディスり、飽きたらどこかへ行ってしまう。毎日だ。

当時の私は今のような発達関係の名前は知らなかったし、それが彼の個性だと思っていた。ひとクラス30人分ある個性の中のひとつ。
そして、ただただ、いじられているのを見て「どうしよう」とは思うものの「どうやったら誰も不快にせず止めることができるか」その術の分からない幼い中学生だった。

また、それ以前に、別の同級生の女子が日常的にからかわれているのをかばったことで、後日わたしの通学バッグがカッターで切られていた経験がトラウマとなり、余計に何も言えずにいた。バッグを買ってくれた親に申し訳ないし、心配を掛けてしまう、と。


あの時代がもし「今」だったら、どう変わっていたのだろう。
もっと「個性を個性として」尊重できていたのではないか。
少なくとも、相手の大切な家族をディスったりまではしなかったんじゃないか。



近年、16パーソナリティ性格診断(MBTI)というものが流行している。
93個の質問に答えることで、自分の興味の方向性や外界への接し方が「16種類の性格」に分類される。
血液型占いや誕生日占いなどよりは精密で、わりと当たっているなと思う部分もあれば「人の性格を16種類に分類できるのか?」という疑問もある。

なぜこれが流行ったのかを考えながらyahoo知恵袋やSNSをチェックしていると「自分はこういう人間だから」と自己分析して納得する人の多さに気付いた。


「なるほど、みんな、多少なりとも生きづらさを感じているのかもしれない」

中には自分のMBTIとHSP(通称:繊細さん)を紐付けて
「私はこれだから辛いんです」
と書かれているものも少なくない。

「ツラさ」に名前を付けて発信し、それに共感する人が集う。
これが、ネット社会になって良かったと思うことのひとつ。
例えようのないツラさを表現しやすくなったのだ。


私も試しにHSP診断を受けてみた。
結果は中度のHSP。MBTIはENFP-T。
HSPもENFPも感受性が高く繊細な面があるため、納得の結果である。

いつだか友人に
「悩みがなさそうだけど、悩むことある?」
と聞かれたときに、こう答えた。
「めちゃくちゃ落ち込むよ。この世の終わりかというほど。だけどそのときは、どうせみんな他人に興味ないから。自分が生きるので精一杯だから。忙しいしすぐに私のミスなんて忘れてくれる、って思うようにしてる。」

自分の心を守るための考え方だが、意外にもこの思考をしているとすぐに立ち直れる。本当は自分でも繊細すぎるなと思うときはある。だが、あまりにも落ち込むと、日常のパフォーマンスが著しく下がることも知っている。
だからその時は、あえてスーパーポジティブマインドに切り替える。



では、仕事・プライベートのミスや失恋でもない、さらに深い悲しみのときはどうか。
喪失感で涙すら出ないとき。
生きている間に、必ず訪れる感情。

そのとき私は、こう考えるようにしている。
「宇宙の歴史から見たら、自分の人生なんて塵(ちり)のようなものだ」


ツラいときは時間が永遠に感じられる。
この痛みから一生抜け出せないだろうとも考える。

だけど、人間の人生なんて結局、宇宙の歴史で考えると一瞬で消え去るものであって、この痛みが人生の一部であるなら尚更瞬間的なものなんだ、と。

ひとりの人間のちっぽけな歴史を、宇宙はほくそ笑みながら
「そんな小さなことで悩んで」
と見ているのだろう、と。

そう思わずして、立ち直れた試しがない。



ネットでの宇宙。
天体の宇宙。
我々は、どこかに大きな包容力を求めて生きている。

どこに助けをもとめてもいい。
助けを必要とする人はどの時代にも存在する。

生きていれば傷付くことはたくさんあるだろう。
それは仕方のないことだとしても、独りで秘めるツラさより、どうにかして放出できる術を知ってほしい。














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