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成人式に行かんかったのは最善の判断
こんばんは。お嬢です。
今日成人式に行かず、後悔してない?
それとも不安?安心?
今回は、成人式に行かんかったのは、今の貴方にとって最善の判断やという話をしようと思う。
※「行きたくない」って理由で行かんかった人
なんで最善の選択なのか
それは、今の貴方にとって その判断は生存戦略 やから。
今の貴方が行ったら心に致命傷を負うことを、貴方の本能がわかってる。
だから貴方に備わってる強力な盾として、防衛規制が働いた。
逃げたらあかんってことは全然ない。
致命傷負うぐらいなら、むしろ逃げるべき。
毎日生きづらさを感じながら、頑張って生きてる証拠。
貴方のことは、貴方が一番わかってるんよな。
防衛機制は、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである。欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。広義においては、自我と超自我が本能的衝動をコントロールする全ての操作を指す。
私も昔、成人式行かんかった
当時の周りの友達は、成人式にどんな振袖着ようかって話ばっかり。キャッキャしてた。
私はどうしても行きたくなかった。
理由は、
久々に地元の同級生らに会うのが怖いから
地元の仲良い友達は数人おった。
でもその子らは、私を置いて久々に会う子らのところに行くやろなーって勝手に妄想してた。
私はまた群れの中で一人ぼっちになるやろなと。
何より一番嫌やったのは、私の容姿がめっちゃ派手になってたこと。
金髪で、身体も耳もピアスだらけで、派手な服装に派手な化粧。
私は小中学生ぐらいのときは大人しいタイプやったから(見た目はそうでもないけど)、ギャップにびっくりして後ろ指差されるんじゃないかって思うと怖かった。
どんな理由であれ、成人式に参加することは私にとって「私は誰にも認められへん孤独な存在」ってことをわざわざ自分で確認しにいくようなもんやった。
「年子の妹も来年成人式でお金かかるから、私は大丈夫」って良い子ぶって逃げた。写真だけ撮った。
成人式の夜は、地元の仲良い子らで飲みに行った。
当然みんなは成人式の話で持ち切りやった。
結局、ひとりぼっち。
それから12年
成人の日になる度に、そういう苦い過去を思い出す。
周りで成人式の話になると、存在感を消す。
でも後悔はしてない。
あの時の私に成人式行きなさいとは、とてもじゃないけど言われへん。
行ったら致命傷を負うから。
今後、生きやすい人生にするには
貴方が今日成人式に行かんかった理由を、根っこまで深掘ってほしい。出来るだけ早めに。
誰がどうのこうのじゃなく、自分の心にフォーカスして。
そうすると、多分根本的なところに自己否定があると思う。
私の場合は「私は人と違ってどこかおかしいから、誰にも認められへん存在」と思ってる。
それがわかると、日常のあらゆる場面でその自己否定が発動してることに気付く。
自己受容をしよう
「成人式やっぱり行った方が良かったかな...」とか思ってない?
まずは今日、成人式行かんかったことを責める必要は全くない、許してあげてほしい。
むしろ致命傷から守ってくれた自分にありがとうを言ってほしい。
成人式なんか行かんでも死ねへんから、生きてるだけで偉い!